学んで守ろう熊本の歴史遺産♯6:シンポジウム「文化財の被災と救済 3年目の中間報告」

 昨日、先延ばしにしたシンポジウムのまとめ。文化財レスキュー活動の経験と今後の展望。
 古文書、仏神像、建造物、古墳、博物館施設の被害の5分野で、熊本史料ネットの稲葉継陽氏、県立美術館の有木芳隆氏、熊大工学部の伊東龍一氏、県教委文化財課の長谷部善一氏、県立美術館の山田貴司氏が、それぞれ発表。その後、パネルディスカッション。

古文書の被災と救済

 トップバッターは稲葉氏の「古文書の被災と救済」。古文書のレスキューの話。
 江戸時代には、大量の文書が作成され、特段の援助がない未指定文化財が古文書の99%を占める。大名家の文書は文化財指定を受けていることが多いが、家臣、惣庄屋、村役人、個々の百姓の家で作成蓄積された文書は、ほとんどが公的保護の枠組みがない。肥後藩には54手永、1008村が存在し、そこで作成された文書は膨大な量に上る。特に、現実の政策実現を担った村方の文書は、近世の社会や制度を総体的に描くうえで不可欠である。実例としては、天草島原の乱以後の、移住政策の話が紹介される。
 また、文化財レスキューに関しては、平素の準備の大切さが強調される。所蔵先や所蔵されている文化財の情報があらかじめリスト化されていれば、迅速な介入が可能になる。実際、建築分野や古文書では、過去の調査リストが機能したという。また、様々な分野の専門家や各機関の職員がスムーズに協業できるように、平素の信頼関係の構築が必要である。また、実際に行う活動のマニュアル化の必要性が指摘される。
 現在、日本社会は大きな変動の最中にあり、「家」や「地域」の衰退断絶が起きていて、所蔵者も不安を感じている状況。災害が起きなくても、急激に古文書の散逸が進んでいる。この状況下で、地域の歴史を伝えていくために、所蔵者が安心して寄託できる、専門家がちゃんと配置された、文書館の必要性が強調される。既存施設の拡充にしても、民間文書の収集の必要があると。

仏神像の被災と救済

 2番目は有木氏による「仏神像の被災と救済」。
 組織的な活動ではなく、以前からの調査研究活動による所蔵者との関係や行政組織間の連絡でレスキューに入った個別的な活動。とはいえ、未知の12世紀仏像が発見されたりもするのか。
 大慈寺や報恩寺、千光寺などの事例が紹介。支払いの当てがない状況で、プロに依頼せざるを得ない状況があった。プロのボランティア活動に支えてもらった。そのあたりの費用の問題は、今後の課題と言えそう。
 そして、ここでも平素からのステークホルダーとの信頼関係の重要性。行政の文化財関係者や各地の研究者、技術者、所蔵者などなど。多くの人の尽力によるものだった。また、『県内主要寺院歴史資料調査報告書』など、今まで積み重ねられてきた文化財リストの存在が、迅速なアクセスに力を発揮した。

建造物の被災と救済

 こちらは、ヘリテージマネジャーや文化財ドクターといった独自枠組みがあって、動産文化財とは、ちょっと別のラインといった感じ。ここでも、阪神・東日本と言った過去の経験が生きている。ヘリテージマネジャーなどの制度がすでに作られたのが大きい。さらに、寄付金を原資にした熊本独自の助成事業が助けになり、早い段階での対応ができた。現在は、調査から復旧修復の段階に進んでいる。
 ここでも、平素からの準備が重要。「歴史的建築総目録データベース」や「被災歴史的建造物の調査・復旧の対応マニュアル」といった、リスト、マニュアルがかなり完成していた。また、ヘリテージマネジャーの養成、応援態勢、模擬訓練などが行われていた。
 熊本の経験で、行政内でのヘリテージマネジャーの認知や評価の上昇、学会や行政との連携が向上した。今後は、その維持が課題である。
 また、一方で、和風建築に関しては「近代和風建築調査」の途中で発生したため、技法の分析が不十分。助成金があっても、所有者の金策が厳しく、修理に使える費用が所有者の準備できる金額の三倍にとどまったこと。普段から、建物の価値を知ってもらい、修理履歴を残すために棟札などの記録を内部に残す必要性。宗教法人の建物に対する補助の欠如。分野の狭間となった庭園や石造物への対策が不十分などの問題が指摘された。

被災古墳等の被災と救済

 埋蔵文化財分野。大体、発掘作業後、破壊されるか、埋め戻されるので、「被災文化財」のメインは古墳。熊本県全域で破損が発生する脆弱さがある。しかし、重要文化財であり、また、石室の修理は墳丘というこれまた重要な遺構を破壊する行為なので、慎重に対応する必要がある。このため、現在は、応急処置と調査がメイン、と。
 過去の整備で、見学用に石室に隙間を作った結果、石棺の蓋が跳ねて、下の石材を破損させている事例が多い。今後は、保存と展示のどちらを重視するか迫られる。現在は、土嚢を入れて保護中とか。


 あと、埋蔵文化財関係者が忙しくなるのは、震災直後ではなく、復興でインフラ建設が本格化する数年後というのが興味深い。

平成28年熊本地震における県内博物館施設の状況

 博物館施設の被害状況の解説。天草・球磨地域以外の博物館施設は、多かれ少なかれ、被害を受けている。特に熊本市宇城市益城町では、損傷が大きい施設があり、支援を受ける必要があった。一方で、大型の施設では、文化財レスキューに取り組む施設も。
 直営施設と委託施設で差が出てきた感じはあるな。熊本市現代美術館は、別組織だから、美術館の再開に注力できた側面がありそう。財団経費で修繕を進め、5/11開館。「心の避難所」として、多くの人が訪れた。一方で、不知火美術館は避難所運営に人員が持って行かれる、業者の不足などで、ハードウェアの修繕に時間がかかって、開館に一年かかった。
 県立美術館は、収蔵庫の屏風棚が破損し、大半が破損するなど、作品の被災に関しては県内の博物館施設の中で最大級の被害を出している。これに関しては、コンクリートの建物の内部に、空間を空けて木造施設が置かれている収蔵庫の構造に問題があるのではないかという。収蔵施設の耐震性は、博物館施設として重要になる。熊大の永青文庫収蔵庫は、それ以前に、図書館の耐震改修とともに、貴重書庫も対応していたため、被害がなかったそうな。収蔵スペース不足でおろそかになりがちだが、地震が起きることを考慮した保管体制が重要と。

シンポジウム

 ラストは、シンポジウム。それぞれの発表を聞いた上で、それぞれの感想。
 やはり、平素からの準備の重要性。施設の耐震性やマニュアルなどの準備とともに、専門家間の信頼関係の醸成の必要。三重県では、県立博物館が、県内施設のネットワークを代表して、地震時に必要な資材の備蓄が行われている。
 阪神大震災を経験した兵庫県東日本大震災を経験した東北諸県の支援の動きが大きかった。熊本も、今後はこういう動きが求められる。要請前にマニュアル類の提供を受ける。神戸史料ネットによるカンパによる資金援助。東北史料ネットによる所蔵リストのデータ化。様々なアイデアの提案など。いろいろな支援が紹介される。


 問題点としては、経費。予算の裏付けがない状況で、様々な仕事を頼まなければならなかった。個人のボランティアベースの活動でまかなわれた。逆に言えば、大きな組織に頼めなかった。ここらは、今後も、問題になりそうだなあ。


 あとは、都合で講演をキャンセルされた方のレジュメの紹介。田中憲一という御船出身の画家のアトリエが、地震で倒壊。作品のレスキューの話。修復化の岩井さんと筑波大の松井研究室のボランタリーな支援で修復が行われているが、現代美術と言うことで文化財レスキューの枠組みに入らなかった。御船町に寄贈という形をとったらしい。
 ここらの、「どこまで」を公的な枠組みに入れるかは、難しい問題だよなあ。


 あとは、「本務」として博物館職員が文化財レスキューに関われたことや、史料ネットに当然のように美術品があるのは、熊本の特徴であるという、観衆から指名された方の指摘が興味深かった。
 逆に言えば、熊本の人文系専門職コミュニティが小さかったってことでもあるよなあ。あと、八代、県立と、美術館に日本史の専門家が入っているのも、特殊事例なのかも。


 そういえば、島原への移住政策、実際の人員の選抜やそのためのリスト作成が各村で行われたことは分かるが、そこで選抜された人々がどこに入植したのか。あるいは、移住者が出身地と関係を維持したのかなどが、気になった。
 現在、島原や天草の村落を訪ねて、どこから移住してきたかとか、伝承されているのだろうか。