「郷土先哲の碑」

 御船町役場の敷地内に建っている石碑。御船町が輩出した宮部鼎蔵光永平蔵、松崎慊堂、増永三左衛門、林田能寛の五氏を顕彰したもの。でかい。「明治百年」記念だそうで。




右石碑正面

宮部鼎蔵先生 文政三年(一八二〇)生
       元治元年(一八六四)没
 贈正四位 名は増実 号は田城 田代の人 肥後藩
 の兵学師範で又勤皇党の重鎮であった 長州の吉田
 松蔭と最も親しく 討幕回天の大業に活躍 元治元
 年六月 京都の池田屋で殉難された 年四十五


光永平蔵先生 文化元年(一八〇四)生
       文久二年(一八六二)没
 贈従五位 名は惟詳 辺田見の人 木倉郷総庄屋と
 して在職三十余年 その間地方開発に専念された
 中でも嘉永井手は七年の歳月を費して完成されたも
 の 後人その徳を慕って神に祀る 年五十九


松崎慊堂先生 明和八年(一七七一)生
       弘化元年(一八四四)没
 名は明復 通称退蔵 木倉の人 はじめ僧となり
 十五歳の時江戸に行き昌平校に入って学問を極めら
 れ 掛川侯に仕え天下の大学者となられた 遺著に
 慊堂全集 慊堂日歴などがある 年七十四


増永三左衛門先生 享和三年(一八〇三)生
       慶応三年(一八六七)没
 旧御船町の人 肥後藩の命をうけ 家業の金鋳場を
 利用して海岸防備のための大砲鋳造を開始し 独創
 的な考案によって入筒砲(層成砲)を発明完成し造
 砲史上に不朽の功績をたてられた 年六十五


林田能寛先生 文化十四年(一八一七)生
       明治十八年(一八八五)没
 旧御船町の人 家業の商業の傍ら慈善事業 公益事
 業に力を尽された 中でも郷土人材養成のため文武
 館を建て また八瀬の難所に巨万の私財を投じて眼
 鏡橋をかけ交通の便をはかられた 年六十九



右石碑裏面

記念すべき明治百年にあたり近
代日本の基礎ふくりに献身せら
れた郷土先哲の偉業を偲び町民
ひとしくこれを顕彰してより新
らしき郷土発展の指標となす
 昭和四十三年十一月二十日
 明治百年記念郷土先哲顕彰会
    御船町長 本田 努
    顕彰撰文 荒木精之
    設計   松下 博
    題字   本田 努
    施工   橋口光幸