宮本記念館の入り口、向かって左側に、「安香堯行先生之像」と並んで建つ石碑。比較的あたらしいもの。この手の、ピカピカ石碑は、自分がばっちり写ってしまうので、困る。
石碑正面
建学記念碑
夫レ薬剤師ハ医師ト並立スルモノニシテ、苟モ此術ニ従事スルモノハ
其学識ヲ有セズンバ能ハザルナリ。 (私立熊本薬学校設立趣意書より)
創立からの経緯
明治一八年(一八八五) 私立熊本薬学校、紺屋今町に創立
一九年(一八八六) 手取本町に移転
二〇年(一八八七) 山崎町に移転
四一年(一九〇八) 私立九州薬学校に改称
四二年(一九〇九) 大江村九品寺(現在地)に移転
四三年(一九一〇) 私立九州薬学専門学校に昇格
大正一四年(一九二五) 官立熊本薬学専門学校に移管
昭和二四年(一九四九) 国立熊本大学薬学部を設置
三九年(一九六四) 大学院薬学研究科(修士課程)を設置
六〇年(一九八五) 大学院薬学研究科(博士課程)を設置
平成一五年(二〇〇三) 大学院医学薬学研究部並びに
大学院薬学教育部を設置
一八年(二〇〇六) 薬学科(六年制)並びに
創薬・生命薬科学科(四年制)を設置
二二年(二〇一〇) 大学院生命科学研究部を設置
大学は建学以来、私立薬学校七五五名、薬学専門学校三、二三二名、熊本
大学薬学部八、九九三名の卒業生並びに修士課程一、五八八名、博士課程二〇九名の
修了生、延べ計一四、七七七名を輩出、我が国の薬学の発展、ひいては人類の健康
に貢献してきた。
熊薬創立一二五周年、専門学校昇格一〇〇周年、熊本大学薬学部設置六一周年の
還暦初年と三重の慶びを迎えるにあたり、ここに建学の精神と歴史を刻み、改めて温故創新を期したい。
平成二二年一〇月三〇日
石碑裏面中央
本建学記念碑は熊薬一二五周年記念事業の一つとして
同窓生並びに各界有志の寄附金により建立された。
熊本大学薬学部長 高濱和夫
創立時私立
熊本薬学校 発起人蔵田孝貞、志村釼七郎、大塚隆、野々口為志、大野尊明 明治一八年(一八八五)
発祥地創立一二五周年に熊本市中央区紺屋今町四九に記念碑建立 (二〇一三)
胸像 安香 堯行(熊本薬学校〜初代官立熊本薬学専門学校校長) (一九〇三〜)
村山 義温(第二代熊本薬学専門学校校長) 昭和三年(一九二八〜)
藤田 穆 (第三代 同 校長) 昭和十七年(一九四二〜)
加瀬 佳年(第七代熊本大学薬学部部長、昭和十五年卒)昭和五七年(一九七六〜)
熊本県薬業組合の官立移管支援に関する記功碑建立 (一九二五)
昭和天皇 昭和六年十一月十八日行幸の記念碑建立 昭和十年六月(一九三五)
創立五〇周年に記念館建立 昭和十年十月(一九三五)
逍遥歌 作詞新沢浩(昭和一九年卒)作曲南部安信(昭和一八年卒)(一九四二)
熊薬愚連隊 作詞黒川由一、相良昭彦、山下恵、藤田大良、合田武司、原歌作者不詳(一九五三)
創立一〇〇周年に記念ホール建立 昭和六一年十一月(一九八五)
国際協力事業団「医薬品効果判定セミナー」主催の記念碑 (二〇〇〇)
宮本記念館宮本佳博氏(昭和八年卒)の寄付により建立平成十六年十一月(二〇〇四)
石碑裏面脚柱
(有)石彫田尻施行
一三〇周年の記念に補足石刻薬学部長甲斐広文(昭和五八年卒)(二〇一五)