「熊本県薬業組合記功碑」

 ここからしばらく、熊大の薬学部キャンパス内の石碑。一気に、6つほど。しかも、碑文が読みやすいのがすばらしい。
 キャンパス南の正門脇、宮本記念館前に立つ碑。大正末建設。私立から官立に移行するにあたって、薬学校開校を顕彰したもの。碑文に墨が入れてあるのが助かる。漢字カタカナ交じりの文章だが、漢字は常用に、カタカナはひらがなに変更。






 石碑正面

功績


我九州薬学専門学校の創立は実に今を距る四十年前のことに属す顧うに当時各種の
教育機関は既に競って経営の盛運を見るに至りしに独り薬学教育は此機勢に遅れた
るの憾ありき是に於て熊本市薬業家渡邊敬右衛門山田善十郎尾崎栄次郎松田敬蔵
吉井武三郎早川卯太郎渡邊武三郎園部交雅山田仁三次渡邊宗太郎高浜亀八吉貝平五
郎西尾武平橋本伊平の諸氏は深く此に慨するあり薬剤官町田伸平山増之助羽田益吉
及医学校教諭蔵田孝貞志村釖七郎の諸氏と相議し薬学校を創立し名づけて私立熊本
薬学校と云う時に明治十八年三月なりき二十年県下の薬業組合成るや其出資を以て
本校の経費を負担するの議を決し此に其基礎堅固なるを得たり而して時運の進展は
更らに規模の拡張を促し専門学校として十分の本領を発揮しべき機会に際したれば
同志愈結束して県の内外に狂奔し齎し得たる資金を以て大江町現今の地に新校舎を
経営して専門学校の認可を得たるは明治四十三年一月なりき爾来整理益歩を進め卒
業生の資格は広く天下の信望を負うの盛観を呈するに至れり○し此の如く創業以来
数多の変遷を経て今日の隆運を致し以て斯学の進展に資したる功績は洵に偉大なり
と謂うべし是れ先きに平山増之助中西司馬森本栄太郎諸氏の如き熱誠ある校長相継
き後三十六年現校長安香堯行氏起って教職員諸氏と専心精励能く其力を内外に盡し
たるに由ること多しと雖も聊も亦た設立者及組合員諸氏が建業の精神磅磚として一
貫し恒に其経営に力めたるに非ずんば焉ぞ克く斯の如くななるを得んや而して
其先見の明と志操の堅し実に以て後進を啓発するに足るものあり
今や将に国家管理に移らんとするに臨み志士仁人貢献の綱概を
石に刻し以て不朽に伝う于時大正十四年三月也


 安香堯行篆額
 井芹経平撰文



 石碑裏面

熊本県薬業組合記功碑


建設委員
組合長  高浜亀八
副組合長 渡邊敬衛門
庶務主任 野坂安次郎
会計主任 渡邊宗太郎
評議員  尾崎茂平
評議員  吉井武三郎
評議員  橋本寿七
評議員  光多仁一郎
石工   糸永栄太郎