木村靖二『第一次世界大戦』

第一次世界大戦 (ちくま新書)

第一次世界大戦 (ちくま新書)

 歴史学プロパーによる第一次世界大戦の通史。戦争の展開と銃後の関係をバランスよく、欧米の最新の研究の成果を反映して、書かれている。当面はこれが基本的な通史になるんだろうな。ヴェルサイユ条約が、「当時としてはそれなりに考えられた条約」であるという評価や、「総力戦」という用語の起源の話など、興味深い論点も紹介されている。あとは、前線と銃後で、郵便物のやり取りや人の行き来など、濃密な情報の交換があったと。
 そもそも、第一次世界大戦関係の邦語文献って、少なすぎる。しかも、その少ない文献のかなりの部分が第一次世界大戦起源論というのが困りもの。起源論の何がおもしろいのか、欠片も理解できないのだが。


 序章は、第一次世界大戦史の研究の流れ。日本とヨーロッパの意識の乖離。
 第一章は開戦にいたる国際情勢から、緒戦の機動戦の時期まで。ヨーロッパの強国を中心とした「列強体制」が二極化し、また、バルカン半島をめぐる利害対立がゼロサムゲームとなり、妥協の余地が狭まったこと。ドイツが、戦争を通じて、イギリスから列強体制のヘゲモニーを奪取しようとしたこと。諸列強の指導者層が、「列強としての地位が危険にさらされている」という認識が、戦争参加を後押ししたという。開戦の結果、挙国一致体制が出現し、「国民の戦争」となった。
 戦闘は、シュリーフェンプランによるドイツの攻勢とその破綻、その後の機動戦。最終的に、海岸まで続く塹壕の列が形成された。この間、参戦国では数十万人規模の死傷者を出し、最初に動員した現役軍は消滅。砲撃の威力向上で、死傷の大半が砲弾によるものになった。一方で、砲弾の消費量も激増し、「砲弾の危機」が発生する。戦闘地域となったベルギーやフランス北西部では、民間人に大量の犠牲者が発生し、また難民も多数に上った。


 第二章は、陣地戦と戦時経済体制の構築。長期戦に備えた軍需品生産体制に各国は取り組む。特に経済封鎖で物資の輸入が難しくなったドイツは原材料の配給などの対応が必要になった。また。英仏などでは、人員不足で未熟練労働者の動員が行われた。また、交戦国各国で、食糧の流通が混乱し、配給制度などの対応がとられた。しかし、ドイツやロシア、オーストリアなどの対応は、場当たり的なものであったことが指摘される。ドイツでは、穀物不足から飼料に困った農家が、全体の1/3を屠殺する「豚殺し」のような生産活動を停滞させる状況も発生した。
 また、連合国側も、同盟国側も、イタリアやバルカン諸国を自陣営に引き込もうと画策した。東部戦線ではドイツ側が優勢に戦況が進んだが、西部戦線では凄惨な陣地戦が続く。ヴェルダン戦やソンム戦など、消耗戦が続く。一方で、東部戦線では機動戦。ブロシーロフ攻勢など。


 第三章は、1917年ごろ。長期化する戦争に、交戦国で士気の低下や銃後での暴動が発生する。高まる不満に、ドイツでは軍による政治への介入による独裁体制、英仏でも政治的混乱が続き、リーダーシップを高めた政権が出現する。
 戦況は、西部戦線ではどちらも戦線を突破できず、攻防が続く。


 第四章は、終戦への動き。ロシア革命の発生と単独講和、アメリカの参戦、ドイツの西部戦線での攻勢とドイツの戦時体制の崩壊。ロシアとドイツの講和条約は非常に厳しいもので、西部の多数の民族国家独立や資源の奪取が行われた。結果、西側諸国の継戦の意思を固めさせたという。
 ドイツは西部戦線で攻勢に出て、英仏軍を圧迫した。しかし、突破はならず、逆に反撃を受けて、戦線を突破されることとなった。この時期になると、ドイツ軍は食糧や装備の不足に苦しみ、予備兵力が枯渇していた。後方では、市民の厭戦ムードや大規模な兵士の不服従が発生する一方、情報が遮断された前線では果敢な戦闘が続けられていた。前線と後方の認識の差が大きかったこと。あるいは、戦争捕虜が、1918年まではほとんど出なかったというのも怖いな。
 最終的に、同盟国が次々と脱落し、ドイツも休戦を請うことに。ヴェルサイユ条約の締結へと進んでいく。


 最後は、世界史的な影響。「列強体制」が解体し、対等な地位の国家による国際関係の形成、帝国から国民国家への転換。一方で、国民国家形成にともなう大虐殺が発生したことも指摘される。また、国家においても自由主義から国家が広い範囲に介入する福祉国家・社会国家への転換が起こる。負の側面として、巨大な破壊の後で、政治的領域における暴力の行使の敷居が下がったことが指摘される。

 筆者は、日本の対外戦争観・戦争経験と、ヨーロッパでのそれのもっとも大きな違いの一つが、この戦場・前線と本国・銃後の距離と距離感、前線と銃後間の交流の密度の差、また海に囲まれた孤立国家と、複数の国家と地続きの国境を持つ多国境国家との差にあり、それが国民の戦争体験の違いにも、また戦争観にも、大きな影響を与えてきたと考えている。それはまた、日本での他国の戦争体験についての理解にも大きな影響を与えていると思われる。本書がこの点を考える手がかりになればとも期待している。p.17

 まあ、西南戦争以後、基本的に日本は外征しか体験していないからな。