『歴史群像』2018/6号

歴史群像 2018年 06 月号 [雑誌]

歴史群像 2018年 06 月号 [雑誌]

 ノルマンディ航空戦と日本海軍の潜水艦作戦がメイン。


齋藤義明「片島魚雷発射試験場」
 長崎、大村湾にあった、新造魚雷の領収試験場。意外と、遺構が残っているのが良いな。湾の中だと、どっかいっても、湾の中という気楽さはあるわな。


古峰文三「日の丸の翼:陸軍四式戦闘機『疾風』」
 軽戦闘機と重戦闘機を統合した、航続力と速度・上昇力、重武装を両立した戦闘機が形になったもの。アメリカでのテストで、680キロを出しているが、これは日本の使った燃料とあまり変わりなく、疾風の資質そのもの。計画通りの性能を達成している、と。


白石光「銘艦ヒストリア:イギリス戦艦の集大成:ヴァンガード
 戦争に間に合わなかった戦時急造戦艦。在庫砲身のリサイクルは、信頼性が高く、砲弾の在庫も豊富で、理にかなっていた、と。最大射程での撃ち合いは、滅多になく、あまり重視する必要がなかったと。


有坂純「縦横無尽!世界戦史:会戦 Vol.3」
 騎士の戦争には、「会戦」はあまり相性が良くない。そもそも、フェーデはあんまり損害を受けたい戦いじゃないし、規律や指揮系統の統一が欠如した中世の軍隊では会戦は効果が低かった。14世紀あたり、スイス歩兵の出現あたりから、「規律」が復活して、会戦は可能になったが、ハイリスク・ハイコスト・ローリターンで、基本的には避けられた。
 ナポレオンの時代、軍へのプロフェッショナリズムの導入あたりから可能になったが、今度は近代的国民国家では、一戦で戦争が終わらなくなる。


古峰文三「ノルマンディ航空戦」
 ノルマンディ上陸作戦からコブラ作戦によるノルマンディーのドイツ戦線の崩壊にいたるまで、上空では、どんな戦いが起きていたか。戦闘機を中心にとした戦力を送り込んで、必死の航空戦を挑んでいた。連合軍1600機、ドイツ軍1500機と、絶対数では同等の戦果を上げていた。これによって、地上でSS重戦車大隊が攻撃を仕掛けているときに、攻撃機の襲撃を受けずに済んでいたわけね。大規模な爆撃作戦の阻止は無理だったにしろ。
 侵攻航空作戦の厳しさ。敵が充分対策をして待っている地域に攻め込むのは、英米軍にしても苦しかった。防空、阻止爆撃、直協支援、航空撃滅戦。やることは一杯あって、連合国側も、すべてはこなしきれなかった。しかし、前線直後に空港を設置すると、潮目が変わって、ドイツ不利に。そして、ドイツ側は基地建設を阻止することができなかった。
 多数の秘匿飛行場を建設し、連合軍側の航空撃滅戦から逃れ、後方から航空機を円滑に供給された結果、相当粘ることができたが、連合軍の突破とそれによる地上基地の占領が航空戦を終わりにした。また。多数の指揮官や中堅幹部クラスのパイロットを失ったドイツには、その損害を埋めることができなかった。
 アメリカの空軍独立まで、空軍の関心に沿ってドイツの高級士官の調査ができなかったこと。そして、良いところなく敗北したドイツ空軍将校の沈黙が、ドイツ空軍の、特に大戦後期の戦いを不鮮明にしているというのが、興味深い。
 エニグマ暗号解読の情報で、6月10日に西部方面装甲軍の司令部を襲撃壊滅、大規模反撃を延期させたって、暗号情報の戦略的効果だな。最終的に、ドイツ軍の反撃作戦が行われて、それで、連合国軍を追い落とせたかは定かではないが。


勝目純也「日本海軍潜水艦:その発達と戦術」
 日本海軍の潜水艦は、艦隊支援から襲撃にドクトリンをチェンジする途中であった、と。艦隊司令部などの上層部が潜水艦の使い方が分かっていなかった。行き過ぎた統制が、無理を強いた側面もあるのか。
 大戦の直前の演習で、港湾の監視や艦隊の接触監視が難しく、むしろ通商破壊のほうが有利であることが確認されたが、結局、徹底的な改革は行われなかった。実戦でも、捜索能力の低さを露呈して、現実に機動部隊の捕捉に失敗している。あとは、人事上の問題とか。上層部のダメさ加減しかない。
 前半の潜水艦発達史は、日露戦争後のホランド型の導入から、イギリス潜水艦の導入、さらに第一次世界大戦後に戦利潜水艦の研究と設計図の入手によって海大型の開発。そこから発展して、艦隊戦を支援する巡洋潜水艦各型へと発展する。初期には、事故が多くて、部隊の士気が低かったという話も興味深い。


橋場日月「再考 明智光秀の山崎合戦」
 親密な関係にあったはずの山岡氏、筒井順慶、細川父子などが従わず、蒲生氏も敵対。近江・大和・美濃の制圧に失敗し、しかたなく朝廷を動かして大義名分を得ようとする。しかし、それも中途半端なままに、山崎の合戦に。
 西岡で野戦築城に拠って、火力戦をもって秀吉軍を撃破する心積もりだった。しかし、それを見越した秀吉は雨の日に攻撃をしかけて、撃破、と。


山崎雅弘「中近東諸国と第二次大戦」
 イラクの親独派将校によるクーデタとそれによって始まったイギリス・イラク戦争。これによって、メソポタミアの産油地域を確保。さらに、ドイツの影響下に入ったヴィシー・フランス支配下のシリア・パレスチナ地域への、イギリス、自由フランス軍による侵攻作戦。さらに、英ソ共同のイラン占領。これによって、中東からカスピ海沿岸地域経由で、ソ連向けに戦略物資・軍需品が大量に供給された。
 あとは、現代に続くパレスチナ人とユダヤ人入植者の対立。既に、かなり対立が深まっていた中、アラブ側に配慮したマクドナルド白書とユダヤ人過激派の武装の動き。自分の都合のよいように動員しようとした結果、100年の禍根になったわけだ。


白石光「第二次大戦日・米・英の大型飛行艇
 第二次世界大戦で活躍した各国の大型飛行艇の写真を着色。日本からは九七式飛行艇二式大艇アメリカからはカタリナとマリナー、イギリスからはサンダーランドを紹介。二式大艇サンダーランド、いろいろと要目が似通っているな。あと、双発機にも関わらず、1900馬力のエンジンで二式大艇と似たような性能を確保したマリナー。カタリナって、ふた周りほど小さかったんだな。
 搭載能力に関して米機が優位なのは、航続距離が関係しているのだろうか。日本の飛行艇も、機載レーダーを搭載していたのか。


モリナガ・ヨウ「迷宮歴史倶楽部:敵機の姿を耳で捕まえろ!空中聴音機」
 九〇式大聴音機や蜂の巣式聴音機など。メカメカしくて、かっこいいなあ。


手塚正己「インタビュー:早川孝二:16歳の戦艦『武蔵』気象兵」
 シブヤン海での海戦を経験した、気象兵のインタビュー。気象観測や暗号での気象通報を使った天気図作成が仕事。戦闘訓練は免除されていたらしい。第一副砲の下に執務室があって、戦闘中はそこで待機。横の甲板に爆弾が命中して負傷。救助後、病院船で内地帰還して、生き残った。
 他の乗員は、ルソン島の陸戦に動員されたり、輸送船が撃沈されたりで、かなり死んでいる。気象室に配属された5人中、生き残ったのは一人だけというのが。
 ラバウルに船ごと徴用された父親と兄は、その後、どうなったのだろうか…


樋口晴彦「松根油:日本陸海軍が期待した代用燃料の実相」
 航空燃料にするつもりで、125万人も動員して、あちこちで掘り出しまくった。けど、航空燃料としては、成分の違いなどで使い物にならなかったと。無駄すぎる…
 灯油に近い性質なら、ディーゼルエンジン用につかうか、あるいは重油の代わりとして使うしかなかったんじゃ。
 まあ、125万人の労働力を農業につぎ込んだほうがマシだった感は濃厚だな。
 人吉近辺は遺構や資料が保存・利用しやすいのかな。
 「絶望的な状況下で全国民が一丸となって取り組んでいる悲壮感に、関係者が酔い痴れていたのではないかと考えている(p.142)」の指摘って、現在の学校教育なんかにも通じるところがあるな。危険が指摘されている組体操が、「一体感の教育効果」と称して、続けられる姿とか。


中西豪「後金vs.明:遼東・遼西戦役:ヌルハチ最後の戦い」
 山海関から北の明軍が壊滅状態に陥っていた状況。軍人やら地元勢力が、あっさり後金に寝返ったり、兵士の士気が完全に崩壊していたり。あとは、明宮廷の勢力争いが、人事に影響して迷走しまくったり。しかし、本気になって火力で守備を固められれば、撃退することも可能だったのか。
 袁崇煥の強硬主義と増税による国内経済の負担を勘案しての放棄策をとった王在晋のどちらに、先見の明があったか。袁は、寧遠の勝利で、後金に大打撃を与えることに成功するわけだが。
 ヌルハチの指令による元官吏・知識人・地主の大虐殺がエグい。文化大革命か、ポル・ポトか。で、生き残った漢人を奴隷化。朝鮮が、清を内心で中華と認めなかった背景には、こういう所業もあるのかね。