『ミリタリー・クラシックス』Vol.69

 今号の特集は、前半が大戦後半の駆逐戦車ヤークトパンターと四号駆逐戦車、後半が英空母アーク・ロイヤルの話。


 第一特集は、駆逐戦車。大戦後半、戦車戦力が質で互角、量で圧倒的に劣勢の状態で、ソ連軍を迎え撃つには高威力の主砲でアウトレンジするしか手がなくなっていた。そこで、次々と長砲身の主砲を搭載する走行車両が開発・投入されることになった。
 分厚い正面装甲に、大口径長砲身の主砲を搭載したこの種の駆逐戦車は、プラットフォームの限界を超えていて、足回りに弱点を持つ車両となってしまっていた。もともと30トン台で計画されていたパンターだが、ヤークトパンターはさらに重量がかさんで変速機や最終減速機が非常に壊れやすい車両となってしまい、その主砲と装甲の実力を発揮する機会が限られるようになってしまった。重戦車駆逐大隊規模の部隊では、運用しきれず、ヤクパン一個中隊に、突撃砲二個中隊を組み合わせた方が戦闘力が上がったというレベルだった。四号駆逐戦車も、48口径の75ミリ砲を積んでいた原設計では、プラットフォームの能力範囲内にあったが、長砲身の70口径主砲を積むようになったラングでは、重量バランスが崩れ、直進が難しくなり、前半に鋼製転輪を着けるようになった。
 車台の生産性や能力の点では、三号戦車の車台がトーションバーや油圧作動式ブレーキを搭載し、優れていた。しかし、サイズが小さすぎて、発展性に欠けたという。ナスホルンやフンメルの三/四号車台は、四号戦車の車台に三号戦車の優れた部分をバックフィットしたものであった。しかし、四号駆逐戦車では、既成のラインを流用するために、大幅な設計変更は見送られた。しかし、旧式車台にも良いところはあって、リーフスプリング式のサスペンションは、現場で交換がしやすくて、稼働率アップに貢献したとか。
 あと、戦車戦のあり方を理解できず、とにかく機甲科のセクショナリズムに走ったグデーリアン、大戦後半のドイツ軍にはむしろ有害だったんじゃ。四号突撃砲、三号戦車車台の生産終了に伴って、四号車台へのスイッチが視野に入れられていたという話も。
 実戦の話も興味深い。ノルマンディーでは、砲兵観測班に優先的に狙われ、じっくりと腰を据えた射撃ができなかった。しかも、数が揃わず、分割されて投入、消耗していった。ファレーズ周辺の戦いでは、教範どうりの機動防御戦が展開され、相当な戦闘力を発揮した。しかし、平押しの攻勢では、逆に側面を狙われて大損害を受ける事例も相当あった。どっちも、80ミリの傾斜装甲をもつだけに、正面に限れば相当な防御力を発揮したのだな。


 第二特集は、英空母アーク・ロイヤル。
 1930年代半ば計画設計の空母としては、日米の同時期の空母と比べると、航空機運用能力はともかく、艦としての能力は一番であった。1934年の確定までに、予算の問題などで紆余曲折、就役は1938年と、戦争にギリギリ間に合った艦と。
 二段式エレベーターが下層格納甲板からの飛行機を上げるのに、いちいち積み替えないといけなくて不便だった。着艦制動装置の能力が大戦後半の大型重量級航空機の運用には足りない。対空射撃指揮装置の能力が不足気味などの問題があった。日本の蒼龍、飛龍あたりと同様に、大戦後半にも運用を続けるなら、大規模な改装が必要であった、と。
 最大の問題は水中防御の能力が、計算ミスなどでかなり不足していた。これが、喪失の伏線になっているのだろうな。Uボートの魚雷一本で沈没しているあたり。
 大戦が始まってからの戦歴が紹介されているけど、もう、ほとんど休みなく東奔西走しているのだな。北海、北大西洋ノルウェー、地中海、西アフリカ。イギリス軍にとって、マルタ島への輸送がいかに大事だったか。あとは、シュペーやビスマルクの追跡、ドイツ軍のノルウェー侵攻への対処、アフリカのフランス植民地攻撃など。ビスマルクへの雷撃が艦歴のクライマックスかなあ。
 しかし、イギリス軍の戦前就役の空母、アーガスとフューリアス以外は、全部沈んでいるのか。しかも、航空攻撃で撃沈されたのはハーミズのみで、潜水艦に3隻、水上艦に1隻やられているというのが、太平洋の戦いの特徴だな。イラストリアス級以降は戦没艦出ていないけど。
 しかしまあ、戦争が始まってからイラストリアス級以下の装甲空母6隻、コロッサス級4隻を作り上げているのがすごいなあ。日本のこのクラスの空母だと、大型空母が大鳳1隻、中型空母が雲龍級3隻だからなあ。彼我の差が。

渡辺洋一「第三四三海軍航空隊の紫電改のマーキング」

 それぞれの部隊ごとにマーキングの特徴があった。隊長機の目印の縦線は、それぞれわかりやすい違いがあった、と。

すずきあきら「WW1兵器名鑑」

 今回は、開戦劈頭、インド洋での通商破壊で活躍した巡洋艦エムデンのエピソード。意表を突いての活躍が凄いな。つーか、弾薬とか魚雷は、どう補給したんだろう。
 最後はオーストラリアの軽巡シドニーと戦って戦没。1909年就役の防護巡洋艦と、駆逐艦以下の砲撃をシャットアウトする装甲を持つ軽巡では、戦闘力に大きな差があるよなあ。シドニーが16発被弾で三人戦死にたいして、エムデンはボコボコにされている。

吉川和篤「Benvenuti!知られざるイタリア将兵録」

 今回は、連合軍のシチリア上陸に対抗したイタリア軽戦車部隊のエピソード。アフリカで大半の戦車を失ったイタリア軍は、来たるべき連合軍の反撃に対して、ルノーFT17の改良型フィアット3000や鹵獲戦車のルノーR35などを投入。案の定、まともに役に立たなかった。スピードも、装甲も、火力もないじゃねえ。

松田孝宏「奮闘の航跡:この一艦」

 今回は、電纜敷設艇釣島。対潜水艦用の管制機雷用電纜の敷設や船舶護衛に従事。大戦を生き延び、釣島丸と改名し、逓信院や電電公社敷設船として海底ケーブルの敷設に従事。1967年まで運用された。その間、各地の災害救援に活躍。伊勢湾台風利尻島の大火、伊豆大島の元町大火などの際に、通信設備や救援物資を積載して、駆けつけた。
 戦後のほうがよっぽど長かった1隻の船のお話。

野原茂「蒼天録」

 大失敗の双発戦闘機メッサーシュミットMe210。新鋭機と期待されたが、飛行性能がアレで使い物にならなかった。これを日本軍も技術サンプルとして一機輸入しているが、あっさりエンジントラブルで墜落大破。うーむ。技術的資料としても役に立ったかどうかよく分からないと。

有馬桓次郎「ミリタリー人物列伝」

 角田覚治中将。なんというか、ものすごい猪突猛進形の司令官。隼鷹・飛鷹を中核とする四航戦、二航戦を指揮、アリューシャン列島攻略や南太平洋海戦では、その資質が良い方に活きて、猛攻で戦果を挙げる。一方で、負け戦の状況には不向きだった。第一航空艦隊司令官としては、緒戦で無理な攻撃を行って戦力を消耗、マリアナ沖海戦では空母部隊の支援ができなかった。最後は、脱出できないまま、テニアン島の戦いで戦死。

「歴史的兵器小解説」

 パナールAMD35装甲車、特TL型、サンダース・ローSR.A/1を紹介。AMD35装甲車、好き。最後のは、ジェット戦闘飛行艇。ロマンあふれるけど、結局モノにならなかった。まあ、そうだよねえ…