歴史群像編集部編『日本海軍機図鑑』

 日本海軍の航空機発展の歴史を、折り込みチャートや解説で紹介していく本。それぞれの航空機が折りこみで詳細に図解しているのは、長所というべきか、短所と言うべきか…


 海軍機の開発が、「航空機種及性能標準」によって、かなりきっちりと決まっていたこと。設計・試作能力を勘案した「実用機試製計画」と利用可能なエンジンによってスケジューリングされていた。
 艦載機は十年式のトリオ、艦戦、艦攻、艦偵が企画されるが、どれもものにならず、最初の実戦たる第一次上海事変(1932)では、三式艦戦と十三式艦攻のコンビが投入された。三式艦戦が安定性の悪い欠陥機であったというのが興味深い。また、木製羽布張りの機体が、耐久性や整備性劣悪であったことから、全金属製航空機の導入へとシフトしていく。また、艦爆は、急降下爆撃が比較的新しい概念であった。これらの流れが、六九式の艦戦・艦爆・艦攻として結実。基本骨格が形成される。
 その後、大型爆撃機を撃墜する火力と艦隊の交戦中の直衛を行う航続距離を求めたて、零戦が出現。第二次世界大戦を戦い抜く。一方、後継機たる烈風は、大出力エンジンの目処が立たず遅れて、企画段階から間に合わないものだった。
 艦攻は、九六式艦攻から天山へと順当に発展。一方、艦爆に関しては、本命の高速爆撃機がなかなかうまくいかず、ストップギャップたる九九式艦爆が長く活躍。本命の彗星は、大戦後半にずれ込んでしまった。
 最終的には、搭載爆弾の大型化から艦爆と艦攻は一本化され、流星に。一方、偵察機は独立機種とされ彩雲が登場する。
 大戦後半の航空機、ほとんどが誉エンジンありきだったんだなあ。


 水上機は、砲戦観測の二座水偵、哨戒用の三座水偵、夜間接触飛行艇、潜水艦搭載用小型水偵が骨格で、その後は、水上戦闘機や高速水偵が出てくる感じか。
 日中戦争で高速爆撃機に苦しめられた経験から陸上戦闘機が企画され、これが雷電紫電紫電改として結実。同じく爆撃機の援護のための長距離戦闘機が、紆余曲折の末、夜間戦闘機月光へと。また、大戦後半には高速性能を求めて、秋水、震電、菊花といったジェット機やロケット、推進型戦闘機が試作される。


 多発航空機は、基本的には軍縮条約体制下で、艦艇の数的劣勢を補い、艦隊決戦に参画することを前提に整備された。そのため、飛行艇も雷撃能力が求められた。
 双発飛行艇、四発大攻がものにならなかったことことから、飛行艇では九七式、二式が、九六式、一式が主要機として、名を残した。
 二式大艇は、結局、雷撃機としては運動性が足りなかったが、戦闘用として高速に振ったことから、便利使いできた。
 また、陸上爆撃機「銀河」は、陸攻とは別系統に企画された新機種で、長距離急降下爆撃機として、乗員数などを絞り込んだ機体だった。


 あとは、練習機とか、輸送機の記述が薄かったのが残念かな。九三式中間練習機の紆余曲折がおもしろい。航空機メーカーの経営維持の補助として、あちこちの企業に発注された。あるいは、実用機との間を結ぶ「中間」練習機として作られたにもかかわらず、その「名機」としての評価は、旧式化して、初等練習機扱いになってからのものだったとか。結局、戦局の問題から、後継機が出現しなかったことが、名機としての評価


 あとは、パイロット養成の制度とか、機銃の記事などが興味深かった。7.7ミリ機銃は、アメリカからすると量産性に配慮されていない物だったとか、生産数の見積もりとか。13ミリ機銃の迷走。20ミリはエリコン機銃のライセンスから、適宜改良されていったとか。