渡辺洋二『決戦の蒼空へ:日本戦闘機列伝』

決戦の蒼空へ―日本戦闘機列伝 (文春文庫)

決戦の蒼空へ―日本戦闘機列伝 (文春文庫)

 戦闘機に関する記事を集成した本。それぞれの機種ごとに、だいたい一章があてられている。比較的マイナーな紫電雷電鍾馗あたりの重戦闘機の記述が厚いのも、うれしい。


 しかし、大戦末期の状況を読むと、これは勝ち目ないなとしか感じない。敵戦闘機が基地上空に侵入。警報が間に合わず、離陸直後の日本機が一方的にやられる事例が、紫電の章の台湾塀東や疾風の章の山口県小月などの事例で紹介される。数が少なく、無線が機能しないため、戦闘中に編隊が崩れ、単機でバラバラに戦うことになる。
 あとは、フェリー中の事故の多さ。アメリカ軍側の報告「ジャパニーズ・エアパワー」でも、途中の事故が多いと指摘されていたが、九州から東シナ海を渡るのも、大変だったのか。
 なんか、どうしようもない状況だな。性能も、数も、戦術も劣る…


 分量としては、局地戦闘機紫電」を取り上げた「獅子は吼えたのか」が多め。紫電の戦果や乗員の評判を紹介する。やはり、脚が弱点だったのか。ブレーキの効きが悪かったり、横風で折れて、事故を起こす。1000機強生産されたうち、どの程度が事故で失われたのか。他の機種と比べて、その程度ひどかったのか。比較できる数字はないものだろうか。
 台湾沖航空戦からフィリピンへと転戦。フィリピンでは、機材があっという間に消耗していく。F6Fに劣る、後期型のFM-2ワイルドキャットと互角か。厳しい


 二式戦「鍾馗」の記事も興味深い。重戦闘機として、爆撃機の邀撃を期待されたが、高高度を飛ぶB-29に追付けなかった。やはり、12.7ミリ機銃4丁では、重爆撃機相手には、心許ない。そういう意味では、必要とされた時に、必要とされた装備を持っていなかったという感じが。ホ301 40mm自動噴進砲はどの程度の効果があったのか。
 しかし、B-29の最高速度587キロって、とんでもないなあ。当時の戦闘機並みの速力。一度逃すと追付けないのも納得というか。


 雷電の、零戦の搭乗割りに入れない予備士官出身のパイロットが、雷電なら乗れると、そちらを志望した話も印象的。「殺人機」といわれながらも、経験の浅いパイロットが使えたのだから、単純に海軍のパイロットが乗りこなせなかったんじゃ。


 他には、指揮官の人となりに焦点を当てた「「J改」指揮官の個性」や「伝聞「加藤軍神」」。MU-2のテストパイロットを務めた本田稔へのインタビュー記事「忘れ得ぬ胴体着陸二回」や全日空のヘリ事業でマスコミ用や農薬散布で飛んだ「回転翼に託した人生」といった、むしろ、戦後の航空活動に焦点を当てた記事もあって、これはこれで興味深い。ヘリによる農薬の空中散布の先駆者だったのか。
 双発戦闘機については、月光、屠龍、武装司偵が取り上げられている。そのうち、屠龍を取り上げた「回転翼に託した人生」は、むしろ戦後の活動に焦点が当てられ、登場は2ページ程度。月光は、山田・畑尾ペアの東南アジアの戦績。東南アジア方面では、大型機三機撃墜は、圧倒的な戦果。その後、月光はモロタイ島の空港を攻撃する夜間襲撃機として運用された。もう、専用の爆撃機って、活躍の余地がなくなりつつあったのだな。
 一〇〇式司偵に武装を追加した防空戦闘機の記述も興味深い。急機動を考慮していないため、機体強度が低く、戦闘機のような機動はできない。正面から、すれ違いざまの一撃がメインとなった。武装司偵の戦果には体当たりが多いが、これは、回避ができない司偵が意図せず衝突した事例が多発した可能性が高いと。むしろ、高速のすれ違いでは、意図して当てるほうが難しそうだよなあ。


 頭の中で飛燕最弱伝説が定着しつつある今日この頃。あんなスマートな姿なのに、スピードはたいしたことないんだな。F6Fなどとは、同じ戦い方で、かつスピードが遅いので、いいカモだったと。それでも、武装が有力で、爆撃機の迎撃には向いていたため、生産が続けられたというのが、『日の丸の翼』の指摘だったっけか。

 このとき呆れたのは、四式重の上昇に三式戦がついていけなかったこと。こちらも〔容量二〇〇リットルの〕落下タンクを二本付けてるけど、相手は重装備(八〇〇キロ爆弾二発)の大柄な爆撃機なんですよp.295

 これは、ちょっと情けないなあ。