『丸』2020/5号

丸 2020年 05 月号 [雑誌]

丸 2020年 05 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/03/25
  • メディア: 雑誌
 特集は、日本海軍の陸攻について。九六式陸攻は、1/700ウォーターラインシリーズのの飛行機セットで見覚えがあるけど、あれ、一式陸攻入ってたっけ。そっちは、いまいちイメージが。
 他に、新型コロナがらみで、自衛隊NBC部隊の歴史が紹介される。

本庄季郞「私が設計した海軍陸上攻撃機の秘密」

 アスペクト比は思い切った設計にできなかった。
 あるいは、葉巻型の胴体とか、エンジンナセルは空気入り口が小さい流線型が空力的に良いとかが、風洞実験の研究成果を背景にしたものだった話。
 あとは、インテグラルタンクとか、操縦装置が良かったとか、魚雷搭載の苦心とか。

古峰文三日本海軍の陸攻開発史」

 日本海軍が運用した陸攻は、ロンドン軍縮条約で、艦艇の総量がアメリカに決定的に劣る規定になったため、航空機の雷撃で敵主力艦隊を撃滅する構想の下に生み出された、比較的新しい発想のものであった。
 1931年の「国防に要する兵力 案」の段階では、使える航空機が存在しなかったが、その後、九五式、九六式、一式と発展していく。
 九五式は性能的に不満足で、少数機が生産され、一部、日中戦争に投入。
 九六式が最初の満足できる陸攻となった。日中戦争の渡洋爆撃やマレー沖海戦の英戦艦撃沈など、前半期には活躍できるが、その後性能的に陳腐化した本機は、訓練や対潜哨戒などに充当された。
 そして、日中戦争時の九六式の戦闘機による被害対策として、高速化と防御火力の向上で対抗しようとしたのが一式陸攻。しかし、戦闘機のスピードがそれ以上に向上したことから、色あせ、武装強化に四苦八苦することになる。
 本命のはずの四発陸攻は、実用化できず。最初の「深山」は、DC-4の設計を参考としたため、大きすぎて性能が物足りなかった。B-17鹵獲のショックから、一からやり直され、「連山」が試作されたが、敗色濃厚のなかで、材料不足で断念された。

古峰文三「“防弾・防火”対策の成功と失敗」

 インテグラルタンクが弱点となり、「ワンショット・ライター」と揶揄されたと言われる一式陸攻。事実、防御が難しいインテグラルタンクは弱点ではあったが、主翼下面への発泡ゴムの張り付けと手動炭酸ガス消火装置の装備は一定の効果を上げた。ソロモン諸島の戦いでも、かなりの機体が被弾しつつ、帰還している。
 その後、さらに外装式防弾タンクを装備した三四型、徹底的な防弾装甲を施した桜花母機型一式陸攻などが出現したが、一式陸攻程度のスペックの双発機では、焼け石に水だった。
 日中戦争の九六式陸攻による爆撃の時点で、陸攻の損害は無視できないもので、ゴムによる防弾タンクや装甲、燃料タンクへの不燃性ガスの充満などの対策が検討されている。しかし、飛行性能の低下が著しく、諦められている。
 陸攻クラスの機体になると、搭乗員も多いし、機長が可能なパイロット、長距離航法が可能なナビゲーター、雷撃や高高度爆撃が可能な爆撃手などの養成は難しく、替えが効かないリソースだった、と。

小林昇「にっぽん陸攻部隊戦歴オール便覧」

 大戦前半の航空隊と、その後空地分離されたあとの特設飛行体の関係がいまいち分からないなあ。自分で整理すればいいわけだけど。
 陸攻航空隊は、一個中隊9機で、三個中隊で航空隊が編制。一個航空隊は1500人、搭乗員と機付整備員で、一個分隊190人が四個分隊、それに、地上整備員が二個分隊200人、通信や事務などの要員を加えるとそのくらいの人数になると。これだけの人間を移動させるのは大変そうだ。

小林昇「知られざる九五大攻戦史」

 陸攻の元祖、九五式陸攻の話。10機程度の生産数に、終戦時の資料焼却で情報がほとんど残っていないのが原因と。
 ちょくちょくフラッターで墜落事故を起こすなど、問題ありの機体だった。
 日中戦争では、済州島から作戦。搭載量が大きいことから、制空権が確保されている場所では役だった。しかし、1937年10月に基地で火災を起こして5機喪失。
 その後は上海近郊に進出し、機材に比べて多い搭乗員を交代で登場させ、支援爆撃に従事。南京へ進撃する陸軍を支援しながら作戦を続け、12月に機材を返納。実戦から引き上げ。

大塚好古「マニュアル特集4:ノースアメリカンF-86D/K/Lセイバードッグ」

 F-86セイバーから発展した全天候迎撃戦闘機。セイバーとは、25%程度しか共通性がなかったけど、予算の都合で、派生型とされた。
 核爆弾を搭載した爆撃機を撃墜するために、単座戦闘機にしては高性能のFCSと内蔵式ロケット弾ポッドを搭載。FCSの指示に従って、ロケット弾を斉射して、撃墜を狙うものだった。大型爆撃機の迎撃って、ミサイルが実用化するまでは、大変だったのだな。しかも、核爆弾を搭載した機体だと、一機討ち漏らしただけで、大都市が一つ消し飛ぶわけで。
 当時としては、高性能のレーダーと射撃指揮装置だったが、それだけに、配線が複雑で整備性は劣悪だったようだ。一方で、飛行機としての素性は、かなり良く、機種転換したパイロットが、セイバーより操縦しやすいと述べたとか。

福好昌治「米海軍病院船『マーシー』型解剖」

 アメリカの巨大病院船の紹介。普段は、70人ほどの乗員、運航は文民が行う船。しかし、有事には医療関係者1200人が乗り組み、1000床のベッドに手術室12などの設備がある。
 とはいえ、今回のコロナ禍では、限定的な役割しか果たせなかったんだよなあ。
 負傷者が山ほど出るような事態、戦争なんかはともかく、これだけ巨大な病院船を日本が保有しても、持て余しそうだなあ。
 あとは、接岸できないときは患者輸送がヘリ便りになる弱みとか。

荒木雅也「緊急検証自衛隊新型肺炎とどう戦うのか!:パート1NBC対処能力リポート」

 戦後、ゆっくりと進められてきたNBC戦部隊の養成。コスモス954号落下事故、オウム真理教サリン散布事件、東海村の臨界事故、2001年の同時多発テロに続く炭疽菌テロ、福島第一原発の事故と、NBC関係の事件が起るたびに、注目を受け、配備の拡大と装備のアップグレードが行われてきた。
 今回の新型コロナでも、ダイヤモンド・プリンセス号の集団発生などで活躍。それなりに存在感を示している。しかし、パンデミックだと、活動の限界もあるよなあ。

高橋昇「日本陸軍“戦車無線機”発達ヒストリー」

 1932年の上海事変で、錯綜した地形でかなりの損害を受けた戦訓から、戦車同士の連携や歩兵部隊との共同作戦のために無線搭載が試みられる。無線搭載の戦車である6t戦車を購入し、無線装置そのものや組み付け方法などを研究。熱河作戦で有用性が確認されたことから、装備に弾みがつく。
 内部に空間的余裕があるわけではない戦車に無線を載せるために、小型化の努力が払われた。振動やエンジンなどの電磁波による交信の妨害への対処。無線アンテナを目立たなくして、指揮戦車が狙われないようにする工夫など、さまざまな努力が払われた。

三茶甲士「「緊急検証自衛隊新型肺炎とどう戦うのか!:パート2陸自化学部隊の装備」

 こちらは、NBC部隊の装備の紹介。
 車両として、生物兵器対処の生物偵察車が調達されたり、NBC偵察車が導入されていたり。しかし、後者の調達価格6億3000万って、価格がこなれた戦車のお値段だなあ。
 あとは、各種の探知装置、除染機材、防護衣など。検知装置は、輸入品も国産品もある。あと、新除染セットのベテランからの「自動化・デジタル化されすぎていて使い難い」という感想がなんというか。

小林昇「二・二六と特攻の狭間で:べらんめえ隊長・野中五郎の素顔」

 べらんめえ調の陸攻隊長として知られたが、それは、人心掌握のための演技だったのではないかという話。意識的にやって、ちゃんとできたなら、そりゃ立派というか。訓示や野点が有名だった人だそうな。
 あとは、二二六事件に兄が関わって、自殺。それが、思考に与えた影響とか。
 緒戦の航空撃滅戦、アッツ島の米軍攻撃、ソロモンでの死闘、サイパン戦など、戦域全体で戦った指揮官。。いろいろと戦果が報告されているけど、実際のところどうなんだろうなあ。車懸り竜巻の戦法といっても、あんまり効果なさそうな…
 そして、最後は桜花を搭載しての攻撃で、発射位置までたどり着けず全滅。
 奥さんの回想が、こう、胸に迫る。