『歴史群像』2020/6号

歴史群像 2019年 10 月号 [雑誌]

歴史群像 2019年 10 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2019/09/06
  • メディア: 雑誌
 なんか、どんどん積み上がっているけど、新号を購入。割とサクサクと処理。

古峰文三日本陸軍航空隊:“帝国空軍”への野望と道のり」

 陸軍航空隊の黎明から第二次世界大戦での蹉跌まで。
 太平洋戦争では、列国の空軍・陸軍航空隊と比べて海上での活躍が少ない。なぜかを追っていく話。ピーキーにつくると汎用性がなくなっちゃうわけね。性能的には洋上戦闘に適した機材を整備していたけど、人間が追いつかなかった。
 1919年のフォール航空団の派遣を受けるまで、欧米の空軍事情をキャッチアップできなかった。また、指導を受けても、技術的基盤に乏しい陸軍は、それ以上を目指し、機材を整備する能力が無かった。また、第一次世界大戦後、仮想敵が消滅し、組織・機材整備のイメージも難しかった。
 フォール大佐は、フランス流の地上軍の観測任務を重視した、保守的な空軍像を伝授。それに飽き足らない航空関係者は、爆撃機重視のジョノー少佐を招聘するが、爆撃機の開発も思うに任せなかった。
 この状況は、1931年の満州事変でソ連と国境を接し、長距離爆撃機で本土を爆撃される可能性が出てきたことで、一気に変わる。開戦劈頭に、航空撃滅戦を仕掛け、沿海州ソ連空軍戦力を一掃する作戦が構想され、それに沿った機材が開発される。このため、陸軍の航空機は航続力と速力重視で、搭載量は控え目な設計がなされた。
 しかし、陸軍の独自の技術基盤の欠如やそれに伴う海軍航空機技術への依存は、陸海の航空戦力の統合・共同作戦を阻害した。陸海軍の協同が進展するのは、大戦末期、敗色が濃厚になってからだった。陸軍の雷撃部隊の編成とそれへの海軍航法要員の搭乗、特攻機の協同試作、そして、沖縄戦の局面で陸軍航空戦力を一括して指導する「航空総軍」の組織。ここにおいて独立空軍的な立場を獲得する。しかし、それは敗戦までの短期間のものであった、と。

長南政義「再検証旅順攻囲戦」

 旅順要塞攻略戦で膨大な損害をうんだのは、第三軍がアレだったのではなく、陸軍中枢の不見識が原因であったという話。第三軍側の資料を中心に検討している。
 旅順のロシア極東艦隊を撃滅するため、8月初旬と期限を切られてせかされたことが、無謀な正面攻撃へとつながった。さらに、ロシア軍側兵力の過少見積もりとそれに伴う投入戦力の過小。参謀本部で準備した旅順の地図が、前進陣地をまったく記載せず、さらに、永久築城を臨時築城を書くなど、まったく不足だった。
 三度の総攻撃失敗に対し、第三軍は、それぞれ失敗要因を検討し、むしろきちんと手を打っている、と。最初は攻城砲の威力不足と砲兵と歩兵の強力不足。その後は、対壕を作って接近する「正攻法」へと転換するが、二度にわたって防御施設を抜くのに失敗する。203高地の奪取で、時間の制約がなくなったこともあり、総攻撃ではなく、堡塁を爆破して占領していく作戦に転換。降伏に追い込むことに成功する。
 こうしてみると、後ろでごちゃごちゃやってた参謀本部がアレだったんじゃ。切り取り方にもよるのだろうけど…

山上至人「“奥羽の驍将”最上義光

 一代で出羽に大勢力を築いた最上義光の話。個人的には、鮭様で覚えていたが。東北方面はよく知らないので、なるほどという感じ。
 斯波氏庶流で、奥州探題大崎氏に次ぐ家柄の最上氏であったが、戦国時代には、一族庶家の統制も失い、その影響力は狭くなり、また、奥州で勢力を伸ばした伊達氏の風下に立つことになった。義光は、伊達氏との関係が深い父と対立し、大崎氏と連携するを模索。その過程で山形平野の国衆達を統一。庄内平野に勢力を伸ばし、上杉氏の支援を受ける大宝寺氏を対立する。豊臣政権の重鎮である上杉氏によって庄内平野を奪われる、秀次事件で娘駒姫を処刑され、自身も厳しい追及を受け、豊臣政権に恨みを募らせることになる。
 結果、関ヶ原の合戦につながる一連の戦いでは、徳川氏の側に立ち、出羽で上杉氏と激戦を交えることになる。この戦いで、徳川家康が政治の主導権を得るようになったため、出羽南半を領する大大名に出世。しかし、豊臣政権に近い嫡子義康を義絶、二男の家親が最上氏を継ぐことになる。しかし、その家親も36歳で死去。あとは幼少の家信だったため、家臣団の抗争が発生。1万石まで減封。さらに、その息子義智の代には5000石、交代寄合の旗本まで転落することになる。一代でのし上がっただけに、後継者に恵まれないと、
 家老クラスが各地の大大名に召し抱えられているのが興味深い。上級武士のネットワークがこういうときのセーフティネットになっていたのだな。

勝目純也「日本海軍の潜水艦事故」

 1910年の第六潜水艇沈没事故から戦時中の事故喪失まで、海軍の潜水艦事故を紹介。
 全員部署についたたまま窒息死した第六潜水艇、むしろ、艇長の無理な運転が問題だったんじゃ。あと、沈座深度が17メートルで脱出使用と思えば脱出できたというのも、なんというか。
 バルブやハッチの閉め忘れで、浸水沈没というパターンが多い。山ほどのバルブを操作しなければいけなかった当時の潜水艦では、人的なミスが、沈没に直結しやすかった。急速潜行や空襲を受けた際の沈座で事故が何件か起きているが、公試なんかの平穏なときにも起きているんだよね。
 あとは、潜水艦同士、あるいは水上艦船との衝突事故。予備浮力が少ない潜水艦の場合、ぶつかられた方はあっという間に沈む。しかも、視認性が悪いから、事故が起りやすい。1939年の伊63と伊60の衝突がひどいなあ。
 あとは、二度事故で沈んだ、不吉な伊33潜…
 海外でも、「メイ島の戦い」のような派手な潜水艦の衝突事故が発生しているけど、日本の潜水艦事故は、諸外国と比べてどうなんだろう。ちょっと検索かけた程度だと、あんまり情報が出てこない。
ja.wikipedia.org

鈴木千春「牟田照雄」

 中野学校でどんな教育を受けたのかのインタビュー記事。軍人臭さを消すために背広にネクタイ、長髪が大変だったとか。さまざまな座学、工場や資材を見てどんな活動をしているかを推測する、スローガンや隠しカメラの使い方など。「忍術」の授業とか、「国体学」とか、なかなかあれな教科も。
 卒業後は千島列島や北海道で秘密戦の企画・準備に従事。戦後は米軍相手に遊撃戦の準備もしていたが、発動せず仕舞いだった。
 後に、経験者として公安調査庁に採用されているというのが興味深い。

山崎雅弘「フィリピンの第二次大戦」

 独立準備段階にあったフィリピン。太平洋戦争では、フィリピン師団が日本軍と戦っている。フィリピンを占領した日本軍は、独立準備政府の主要閣僚をそのまま横滑りで利用、有力者の現地支配に乗っかる形で統治を行おうとした。しかし、占領下での経済状態の悪化、フィリピン人を蔑視する日本兵との文化摩擦で、日本は見限られ、アメリカの支援を受けたゲリラが横行することになる。
 アメリカ軍の反撃による戦い。マニラの市街戦では、市民の死者は10万人。その過半数が、ゲリラと見なされて日本軍に殺害されたという。なかなか無惨だな。
 日本軍もアメリカ軍も、ルソン島攻略部隊の上陸地点が似たような場所なのが興味深い。
 戦後、マッカーサー共産党系のフクバラハップの勢力伸長を警戒、対日協力者を味方として温存したためという。あちこちで枢軸側に与した人々が処刑されまくっているのに比べると、なんというか。

橋場日月「戦国異能 甲賀衆」

 息切れしてきたので簡単に。甲賀出身者が、あちこち傭兵で出ているのが興味深いな。割と行動範囲が広い。信長配下にも、甲賀関係者がちらほら。桶狭間の戦いに参加していたという伝承もあるのか。

古峰文三「日の丸の轍:File.11:B20形蒸気機関車

 梅小路に残る小型機関車は、大日本帝国の野望の残滓であった。東アジア・東南アジアなど大東亜共栄圏の標準機関車製造を企画した。しかし、戦時急造機関車という発想に鉄道技術者がなじめず、設計完了は1944年にずれ込む。結果として、戦中戦後に15両が生産されたにとどまる。そもそも、引き込み線の入れ替えよう機関車も蒸気機関からディーゼルや蒸気に変わる時代で、平時の活躍もできなかった。

細田隆博「戦国の城:因幡 鳥取城攻囲戦」

 なんというか、壮大な土木工事だな。すぐ続きの尾根まで占領しているのだから、無理攻めしてもすぐ落ちそうだけど、信長も出馬しての後詰め決戦が目的だったから、そこまでやらなかったのか。
 吉川経家の食糧補給ルートの手配も興味深い。複数の城を準備しての海上補給ルート。湖山池経由の陸上輸送路。複数のルートを整備した。しかし、秀吉軍にことごとく潰されて、飢え殺しになったわけか。

有坂純「縦横無尽!世界戦史:粒子ビーム兵器」

 荷電粒子砲よりも、中性子ビームのほうが武器として有用。粒子加速器など、現在の技術の延長で作れなくはないのか。
 イオンビームは、停止直前に最大のエネルギーを発するので、軽い粒子を使えば、装甲を突き抜けて、内部で人間や電子機器を被爆破壊することができるえげつない武器になり得る。
 複数の砲を並べて、中近距離で弾幕を張るような戦い方が予想される。

白石光「蒼空の記憶:P-61ブラックウィドウ

 なんか、ツヤツヤ。プラモの塗装は大変そう。
 あと、めっちゃスピード出る飛行機だな。これなら、単座戦闘機も落とせそう。