『歴史群像』2017/6号

歴史群像 2017年 06 月号 [雑誌]

歴史群像 2017年 06 月号 [雑誌]

 ここしばらく、『歴史群像』が「読めた」ので、積んであったバックナンバーを片付ける。いや、波長が合わないと、本当に頭に入ってこないんだよなあ。
 この号は、日本陸軍の特集。


古峰文三日本陸軍装備変遷史」
 明治以降、日本陸軍がどのように装備を整備してきたかの歴史。各藩が装備した雑多な装備を、国産の小銃で代替、統一するが明治を通じて、展開。20世紀の転換期あたりに、三十年式、三十八式で完成。日露戦争では、駐退機つきの野砲を装備して、間接射撃もできるようになり、欧米列強に比肩する陸戦能力を身につけた。また、日露戦争の戦訓を摂取した火力の強化は最先端レベルだった。
 しかし、第一次世界大戦で、すべてがひっくり返る。航空機や戦車、毒ガスなどの新兵器に、大量の砲弾を消耗する大砲撃戦といった総力戦に対応することが求められるようになり、国力を超えた物量に苦悩することに。1930年代にはいると、満州国を勢力圏として、ソ連と直接接触、仮想敵が急激に具体化する。沿海州からの戦略爆撃を防ぐため、航空撃滅戦を意識した航空機整備、機械化部隊編成のための戦闘車両の体系、奇襲上陸のための揚陸艦艇などが整備される。
 ほとんど存在しなかった自動車産業を、育成することも課題であった。トヨタ自動車産業への参入は、軍備計画の基礎となる自動車産業育成計画を前提に、決断されたもの。軍需という確実な市場が見込まれたから、可能であった。
 しかし、第二次世界大戦に入り、徹底的な航空機生産の優先が行われ、結局、陸戦兵器の刷新は進まなかった。


瀬戸利春「日本陸軍用兵思想史」
 正直、「用兵思想」の概念がふわっとしすぎていて、全然お話にならない感が。前後の記事が、具体的な制度や装備を通して、日本陸軍がどのような課題に対応してきたかを明らかにしているだけに、余計空疎さが目立つ。戦術から戦略に至るまで、雑多に並んでいて、焦点が明確でない。


田村尚也日本陸軍師団編成史」
 国内治安拠点といった趣の鎮台から、西南戦争の戦訓から統一的な編成をもつ師団の編成へ。さらに、清との対立から、外征や沿岸防衛に適した機動力をもつことも考慮された。その後、対露戦備や戦争の経過から、師団の増強。日露戦争前後の、師団をどのように編成するかや、軍団と火力強化といった構想の対立も興味深い。
 第一次世界大戦をみて、師団数の拡大、特に特設師団の考えが導入。さらに、師団の削減や三単位師団の導入による、陸軍の近代化が宇垣軍縮などを通じて目指されたが挫折。日中戦争になると師団の数を増やすために、三単位制師団が一般化。
 その後、第二次世界大戦の進展にともなって、治安師団や機械化師団、海洋編成師団、本土決戦用師団といった、特色のある編成の師団が編成されるようになる。
 基本的には、目先の課題に対応した、割合と平凡な発想で、師団の組織構想が行われている、と。
 軍団結節を持たないことから、師団の後方支援組織が、他国の師団に比べて大きいという指摘も興味深い。


白石光「日本陸軍航空隊」
 なんか、プラモでは濃緑色のイメージだけど、けっこう、地の銀色が目立つ感じだな。迷彩塗装を施すと、スピードが落ちるそうだから、当然と言えば当然なのだが。
 呑龍の色は、グレーなのか、銀色なのか…


白石光「銘艦ヒストリア:時代を先取りした「強襲揚陸艦」:あきつ丸」
 英米強襲揚陸艦やドッグ型揚陸艦の概念を先取りする艦が建造されていたという話。しかし、ヘリコプターの普及以前には、この種の船は、それほど使い勝手が良くなさそう。しかも、実際の戦争の流れでは、緒戦以降、強襲揚陸の局面はなかったわけだし、数をそろえても活躍できたかどうか。まあ、飛行機の輸送には便利だっただろうけど。


日本陸軍ファクト・ファイル」
 「歩兵連隊総覧」と「参謀本部陸軍省 組織の変遷」の二つ。
 連隊のリストを見ると、「全滅」の部隊がチラホラ存在するが、多いと考えるべきか、少ないと考えるべきか。サイパンあたりはともかく、フィリピン、ニューギニア、沖縄でも全滅扱いの連隊は意外と少ないのだな。あと、全滅連隊が東日本に偏っている感も。
 組織の変遷も興味深い。参謀本部の組織が機能別で部局わけするか、機能別で部局わけするかで、度々組織再編が行われている。あるいは、大本営陸軍部の改編の頻繁さ。陸軍省の「歩兵局・課」や「砲兵局・課」などの兵科別の部局は、どのような業務を行ったのだろうか。




大塚好古「日本駆逐艦の優勢はなぜ覆されたのか」
 日米、どちらも魚雷に問題を抱えていたこと。特に、米軍の磁気信管が全く機能しなくて、かなり後まで戦闘力がほとんどなかった状況が指摘される。戦闘力と夜間の早期探知能力が高い日本駆逐艦が、昭和17年には、優位に立っていた。
 しかし、レーダーとCICによる、夜戦における情報的優位、魚雷や砲撃が有効に利用できるようになると、先手を取られて、圧倒されるようになる。
 どちらも戦訓の摂取、改良を行うが、米軍の方が早く有効な対策が実施できた。このあたり、国力の差か、組織の差なのか…


久野潤「インタビュー:岩田亀作:“ダンピールの悲劇”を生き延びた陸軍衛生兵」
 ニューギニア戦を生き延びた人。ダンピールの悲劇では、ダンピール海峡に入る前に乗船が撃沈されて、駆逐艦で救助。急送された。ダンピール海峡でやられるのと、どっちが運が良かったのだろうか。
 ニューギニアでは、補給が途絶えた中、飢えに苦しみながらの戦い。塩分の確保のために、自分たちで製塩。しかし、真っ黒。玉砕寸前で、降伏か。
 しかし、戦後のオーストラリア軍の捕虜対応は、これはこれで捕虜虐待のように見えるが…


橋場日月「検証長篠合戦」
 勝頼も、信長も、後詰決戦を目論んでいた。
 信長は、最初から、鉄砲の大量投入による火力戦で、武田軍を壊滅させる目算だった。「三段撃ち」の三段とは、垂直的な位置関係のことで、野戦築城で郭を三段に重ねて、火力の発揮を容易にしたという指摘が興味深い。また、指揮官を狙い打ちにして、指揮系統を無力化する戦術が一般化する、と。
 武田軍も、騎馬編成をやめて、鉄砲を主体とした軍制に改編途中であったという。


山崎雅弘「モンゴルと第二次世界大戦
 モンゴルのこの時代の歴史は、内モンゴルにしても、外モンゴルにしても、無残できつい…
 中国人が少なく、比較的早く独立と確保した外モンゴルも、ソ連による大粛清を喰らってるんだよな。一方で、対日参戦により、戦後の国際的承認を確保した。
 ノモンハン事件で、日本人軍官が慰問品を独占。モンゴル兵の逃亡が相次ぐ。日本軍人、かっこ悪すぎ…