肥後の里山ギャラリー「肥後の山岳信仰:阿蘇山と池辺寺:龍伝説の残る山岳寺院」

 熊本の山岳信仰の中核である天台宗寺院「阿蘇山」(現・西巌殿寺)と金峰山南麓に展開した池辺寺を紹介する展示会。どちらも、天台宗、というか熊本の山岳密教天台宗の影響が強い感じだな。どちらも、明治維新廃仏毀釈で廃寺にされて、片方は復興、池辺寺も寺宝が地元有志によって維持されているあたり、どれだけ信仰をないがしろにしているんだよとしか言いようがない。


 前半は、阿蘇山寺院の遺物の紹介。かつては、中岳と草千里の間にある古坊中に寺坊が展開していたが、薩摩軍の侵攻とそれに続く秀吉の九州征服で廃絶。その後、加藤清正によって麓に移転。熊本藩や将軍家関連の祈祷を行うなど、有力寺院として遇されるが、明治維新廃仏毀釈で廃絶。現在残る西巌殿寺は、寺坊の一つ学頭坊を転用したものだそうで。2001年に本堂が火災で焼失。それにともない、本尊も焼失したというのが、なんとも悔しい。不審火というのが、また…
 古坊中には、まだ、かつての土地の区画が残っているそうで、積雪時の航空写真で、その形が分かる。地理院地図でも、傾斜量で調べると、古坊中の東側に、削平地らしいものが読み取れる。むしろ、麓坊中の方が、かつての姿が分かりにくいかも。江戸時代の「阿蘇山三十六坊絵図」の写しをもって、現地を歩きたい。
 山上本堂の本尊は、平安時代に遡るものだったのか。阿蘇の大峯修行の記録が興味深い。あと、「阿蘇山上宮奇瑞抜書」って、阿蘇の火山活動の盛衰がわかりそうだけど、「宝池」の水が溢れるって、どういう状況だったのだろうか。


 後半は、池辺寺。「池辺寺縁起絵巻」は、割と有名な史料だが、現物を見たのは初めてだな。あとは、現地の発掘で出てきた瓦などと「池辺寺跡財宝管理委員会」が所蔵する独鈷杵や龍のうろこなどなど。江戸時代になって、縁起のストーリーが成立して、それに関する品が整えられたのだろうか。
 百塚が印象的だなあ、やはり。100年もたたずに廃絶してしまったそうだが。池辺寺は、古代豪族建部氏によって創建されたという話は、どこの講演で聞いたものだったか…