肥後の里山ギャラリー「復興のシンボル 熊本城・阿蘇神社」

 もっと余裕をもって、見に行けるはずだったのが、風邪で予定が吹っ飛んだ。ギリギリで観覧。タイトルにあるとおり、熊本城と阿蘇神社の被害と復興状況の紹介。それに、特撮用ミニチュアの技術で作られた熊本城と阿蘇神社楼門の模型、楼門の懸魚と一の神殿の棟札、阿蘇神社関係と熊本城関係の史料などが展示。阿蘇神社の史料は、近世の火災で、下の方がどれも焼けてる。


 阿蘇神社、完全に崩壊したのは楼門と拝殿。他に、一の神殿、二の神殿、三の神殿の神殿三棟に神幸門と還御門、重要文化財の五棟は修理完了。同じく重要文化財の楼門は国の補助で修理が進みつつある。一方で、1948年築の拝殿は、現在、募金中。建設時期で明暗が分かれた感。


 肥後に入国した細川家、城の修理の届とか、かなり気をつかっていたんだな。地震で壊れまくりで、1回では直せないから、許可が下りた分から順番にやりますとか。やたら、櫓が多い城だけに大変だったろうなあ、資金の手当てが。
 阿蘇神社関係では、後醍醐天皇綸旨が展示。あと、下野狩図が興味深かった。中世に行われた、阿蘇の原野で大宮司を中心に巻き狩りをやる儀礼を、廃絶後100年近く経った近世に絵にしたもの。さまざまな動物が逃げ惑っているのだが、大半はイノシシとシカ。しかし、なかに熊らしき生き物もいる。見た限りでは、一頭だけ。当時から、九州の熊は希少だったのだろうか。


 阿蘇神社関係では、楼門の懸魚と一の神殿の棟札が出展。懸魚の裏の墨書が興味深いな。棟梁が当時25歳の水民元吉。下益城郡の小川町出身の若手大工を起用。小川町、内牧、宮地あたりと、元吉の仲間と阿蘇の大工の合作ということなのだろうか。


 阿蘇神社楼門、熊本城天守閣模型と蛍丸写しは、写真撮影可能だったので、遠慮無く撮影。しかし、意外と部屋の照明が暗かったのか、ピンボケ写真を量産してしまった。


 阿蘇神社楼門模型









 復元蛍丸




 熊本城天守閣模型