鵜飼秀徳『寺院消滅:失われる「地方」と「宗教」』

寺院消滅

寺院消滅

 地方を中心に寺院が消滅し、葬送習慣の変化によって変化を迫られる仏教教団の姿を描いたルポルタージュ。仏教教団って、近世社会に最適化されすぎていた側面があるんだろうな。「家」制度の解体、それに伴う地域コミュニティの分解、さらに高度成長期に農山村経済が衰退し、人口が都市へと移動する。そういう流れに、適応できなかった。都市部の宗教需要は、創価学会を代表とする新興宗教に吸い取られた感はあるよなあ。まあ、新興宗教も、最近は置いていかれている感があるような。本山クラスでは最近まで、危機感がなかったと言うことは、教団単位では適応できているということなのだろうか。置いていかれた地方の寺院が「危機」に瀕していて、さらに寺院や集落の消滅によって「歴史」が消えて行くというのが問題なのだろうな。
 あとは、社会的な構造の変化。お寺とのお付き合いも、「常識」が変わってくる。金銭のやり取りしかなくなってくる。このような状況下で、どのような「葬送共同体」を、新しく作り上げるか。


 全体の構成は、四章で間に研究者や宗教者へのインタビュー。第一章が過疎地域における寺院の状況。第二章は葬送に関する慣習の変化とそれに対応する住職たちの試み。第三章は仏教が危機にさらされ続けてきた近代の歴史を紹介。最後は、浄土宗・曹洞宗浄土真宗本願寺派日蓮宗臨済宗妙心寺派の教団による調査の抜粋紹介。インタビューは、玄侑宗久・石井研士氏・戸松義春氏。それぞれ興味深い。
 第一章は、過疎と共に経営の危機に瀕する寺院。生計を立てるのが難しいレベルから、兼務寺院、ほとんど跡形もなくなる状況まで。福沢諭吉の改葬騒動を題材に、地方から都市への改葬の動きとそれに伴う元の寺とのトラブル。東日本大震災で、公的補助もなく、収入も減って寺院が再建できない状況。消えゆく尼寺。かつては、児童福祉的な役割を果たしていた側面があるのか。しかし、福祉の整備の中で、新たに入ってくる尼僧は減って、高齢化が進んでいる。
 第二章は、新たな試み。ゆうパックで遺骨の永代供養をうけつける。都市部で新たに出現する寺院。ビジネスマンが引退後に僧侶になる動きなど。直葬など、葬儀の簡素化の動きがあり、一方で、葬儀に寺院が積極的にかかわろうとする動き。日本における仏教には、遺棄葬は避けたいという思いから発した葬送共同体の側面が強いだけに、その部分をどうするかが、今後の鍵になりそうだよな。「家」制度と違う形の弔いの形というか。
 第三章は、仏教の近代史。廃仏毀釈から始まって、戦争協力、農地解放による資産喪失の流れ。寺院が、農地解放で資産を失って大打撃。いまだに、元小作人とは微妙な関係ってのは、興味深いな。そして、鹿児島の仏教寺院破壊の凄まじさ。冗談抜きに、仏教寺院の破却は、特に中世以前の歴史史料を破壊することだからなあ。で、文化財が激減して、予算も少ないって。戦争協力で、教義を捻じ曲げた仏教の姿。しかし、仏教寺院が少ないことの弊害に関しては、どうなんだろう。私当たりも、家が浄土真宗だから、そのままで、浄土真宗が好みかというとそうはいえないし。あと、廃仏毀釈の罰当たりっぷりが。「神殺し」って、本当にそうだよな。つーか、今の神社神道って、特に神を敬っているように見えないところが。
 ラストは、教団の統計データから、地域格差などのデータを抽出している。全国的データからだと、格差はあるけど、レポートされるような深刻さが逆に見えてこないような気もするな。もっと、細かく地域を切って、データを分析しないと見えてこないのではなかろうか。


 各章の間に挟まれるインタビューも興味深いな。
 作家にして住職の玄侑宗久が、布施に値段をつけてはいけないというのは、市場経済に飲み込まれない、宗教としての自立性を維持すると言う意味で、正当な判断だと思う。国学院宗教学者である、石井研士のインタビューでは、地縁の解体による寺院消滅は不可避で、宗教の側が何とかできるものではないという悲観的見通し。ラストの戸松義晴は、全日本仏教会の元事務総長。布施の見える化は危険とか、撤退は早い方が良い、エイズボランティアのときのエピソードなど。


 以下、メモ:

戸松 確かに「寺は寺族のもの」になってますね。海外の人からよく言われるのは、「なぜ日本は寺に泊まらせてくれないのか」と。タイの寺ではどの寺でも泊まらせてくれます。しかし、日本の場合、寺族のプライベートスペースと本堂などの公共スペースが一体になっていますから、防犯上も難しいでしょうね。p.231

 これは確かにあるな。自転車で、あちこち訪れていても、お寺にズカズカ入って行くのはためらわれる。やはり、家と一体化しているから。

戸松 極論を言えば、宗教家として「命を懸けられるか」ということでしょうか。私が若い頃の話です。タイのエイズ患者を収容するホスピスに、私は日本の仏教者として行きました。ホスピスは現地の寺が運営していますが、このホスピス創始者の僧侶と一緒に、エイズ患者の元を回りました。タイの僧侶は躊躇なくエイズ患者に歩み寄り、手を握って回るのです。
 するとある末期症状の患者が手を伸ばしてきた。皮膚はただれて体液が手にべっとりと付いてきた。医療関係者やボランティアは必ず手袋をはめるのですが、僧侶は素手で手を握るのです。エイズは体液感染します。手にけがをしていると感染する危険があります。
 しかし、私の前にいたタイの僧侶は迷うことなく患者の手を握り、最期の力を与えるんです。そうして私の番が回ってきました。力なく手を差し伸べる患者の、体液が付いた手を見たとき、私は手を握り返すことがどうしてもできなかったですよ。
 もし私が、ここでエイズに感染したら、うちの寺はどうなるんだ、跡継ぎはどうなるんだ、ということが瞬時に頭をよぎり、立ち尽くして手も動かせなかった。
 私は宗教者です。だから、手を握ってあげるつもりでホスピスに赴いた。しかし、それができなかったんです。私は悲しくて泣いてしまいました。
 そんな私に対して、タイの僧侶は、何事もなかったように「当然ですよ。あなたには守る家族がいて、守る寺があるのでしょう。でも、タイでは僧侶として出家したということは、支えてくれる人々に命を預けたということを意味するのです。だから私には妻も子供もいません。仮にエイズに感染して死んでも弟子が後を継いでくれます。何の問題もありません」と教えてくれました。
 何が言いたいかと言えば、私たち日本の多くの僧侶は命を賭してまで、本来の「宗教者」にはなり切れないんです。いくら、日本の僧侶が口ではきれいごとを言っていても、究極の場面では本当の姿が出てしまいます。
 私はその時、初めて分かりました。出家、つまり僧侶の独身主義には意味があったんだなと。p.236-7

 ここは、本書でも一番印象的な場面だな。一方で、托鉢して徹底的に修行する宗教者と、寺などのインフラを維持する役割の宗教者と、教団の指導的立場にあったり学問を極める立場の宗教者で、それぞれ行動が違ってもおかしくはないと思うが。「俗」を徹底的に捨て去ろうとするスタンスの宗教者と、「俗」と付き合う宗教者を、同じくくりで扱うのは間違っているように思うのだが。