『帝国の艦船:日本陸海軍の海洋軍備』

帝国の艦船

帝国の艦船

 以前、ムックとして刊行されたものを、書籍枠で再刊行したものらしい。ムックバージョンは、以前読んだことがある。
 全体は三部構成。伝統的に海軍戦力の中心だった砲雷戦艦艇の展開。航空機を搭載した艦艇整備の流れ。最後に、一線の艦艇の戦闘力発揮を支援する特務艦艇や揚陸艦艇、輸送などの戦争を下支えする艦艇について。


 最初は、砲雷戦を主体にした艦艇。日本最初の「戦艦」扶桑から始まって、一隻しか建造されなかった高速重雷装駆逐艦島風に至る流れ。全体としては、明治時代の主力艦の国産化への努力。そして、ワシントン軍縮条約体制下で対英米劣勢を補うべく、個艦優越、そして雷撃へと活路を求めた日本海軍の努力が、実際の戦争の流れと乖離していく悲劇。量的劣勢は、やはり、どうあがいてもひっくり返せないのだな。無理をしすぎた千鳥型水雷艇。そして、活躍場所を得なかった水雷戦重視の戦闘艦、大井、阿賀野島風
 解説は、装甲巡洋艦筑波・生駒を扱った主力艦国産化の努力。酸素魚雷と艦砲射撃の戦い方の解説。確かに、酸素魚雷によって、日本海軍は道を誤った感はあるなあ。航続距離よりも、雷速の向上に力を注いだほうが、実戦での効果は上がったかも。20キロ、戦艦の主砲並みの射程を持つ魚雷って、確かにすごいけど、冷静に考えるとあたるわけないよなあ。無誘導の魚雷が、発射して20分後に、敵艦を捉えるなんて、ほとんどありそうにない。しかも、酸素魚雷は雷跡が少ないから、敵の艦列を混乱させることもできないという。


 第二部は、航空機と関連する艦船。
 正規空母は取り上げられなくて、水上機母艦改装空母、偵察用水上機搭載を重視した艦、そして、防空艦艇。日本海軍の水上機への力の入れぶりが興味深い。二式大艇専用の工作艦とか、補給潜水艦まで作っているんだよな。贅沢な航空機輸送艦になってしまった改装空母。ミッドウェー後の、何でもかんでも飛行機乗っけよう政策とか。軽巡改装防空巡洋艦が、結局は、大きさの割りに弱武装にとどまってしまった限界も興味深い。
 艦船紹介のあとは、航空母艦建造の歴史と改装空母に焦点を合わせた解説。空母をめぐる試行錯誤。性能不足で活躍できなかった改装空母群、計画された時点では、十分な性能を持っていると考えられていたと。
 結局、ミッドウェー後の正規空母大量生産は間に合わなかった。改装空母は、その穴を埋め、空母機動部を、その終焉までアメリカ軍に脅威を与える戦力として維持させたと。その点で十分に「間に合った兵器」であると。


 第三部は「支援および総力戦兵備」というタイトルで、各種の特務艦艇や揚陸艦艇、輸送船とその護衛艦艇が取り上げられる。戦前に準備されていた各種支援艦艇が、多用な任務を詰め込まれ、逆にそれが、それなりの汎用性をもたらしたこと。海軍の揚陸作戦への理解の遅れ、そして陸軍がむしろ揚陸艦艇に関しては先進的だったこと。「間に合った」一等、二等輸送艦。泥縄だった戦時標準船と海防艦
 防空基幹船に関しては、イギリスあたりも似たアイデアの船を建造していたりするけどな。あと、大型の敷設艦って、日本だけじゃなくて、アメリカやイギリスも、高速輸送艦として使っているな。
 解説は、総力戦への準備が不足していたという話。艦隊決戦ありきで、「戦争」、特に総力戦への構想と展望が欠如していたと。まあ、太平洋を渡って、アメリカを直接攻撃する能力がない以上、戦争を始めること自体が無謀だったとしか言いようがない。
 あとは、そもそも南方の資源地域を占領する構想そのものが、大戦の直前まで存在しなくて、その準備ができていなかったとか。
 しかしまあ、準備段階で、艦隊決戦用艦艇の準備すら滞っていたことを考えると、護衛艦艇や揚陸艦艇の準備を戦争前から始めていたら、今度は正面戦力が足りなくなっていたかもなあと。そもそも、アメリカと戦争を決意した時点で詰んでいた。

 昭和六年(一九三一)、前年のロンドン軍縮条約をうけた研究で、日本海軍は艦隊決戦用の主力とは別に、近海の警備や対潜作戦を行う「防備兵力」として多数の小艦艇を必要とすることを理解した。何しろ同年の研究では、海上交通線の維持に必要な護衛艦隻数は三六〇隻と見積もられたのである(防衛研究所戦史部『日本海軍の海面防備〈対潜・対機雷戦〉に関する一考察』による)。しかしながら、大恐慌の影響などでそうした防備艦艇の建造に回す予算のないこともまた明白であった。p.147

 一応、対潜護衛の必要性に関して、理解がないわけじゃなかったのだな。しかし、そちら方面への手当ては全くつかなかったと。