『歴史群像』No.130、2015/4

有坂純「世界の名画をよむ:祖国無き預言者が描く世界軍事史の転回点:ウィーンのヤン・ソビエスキ」
 第二次ウィーン包囲の撃退と、その後のオスマン・トルコの後退について。近年の研究では、オスマン・トルコは、ヨーロッパの軍事的革新を遅れず摂取し、軍事技術的な面で劣位に無かったこと。西と東に有力な敵を抱え、基本的には守勢の戦略をとる国家であり、緩衝地帯を確保するのに熱心であったこと。オスマン軍が動員戦力15万ほどと、国力に比べて比較的小さな戦力であったこと。これを、洗練された国内の兵站システムで機動させ、内線の利をもって、戦場単位では優位な戦力を投入できたことが、強さの秘密であったことを指摘する。
 また、第二次ウィーン包囲失敗以降の、「第二次トルコ戦争」の敗北に関しては、外交的失策の側面が強いと。無理な多正面作戦に出た結果、ハプスブルクポーランド、ロシアなどの同盟の形成を許し、数の力で押し切られるようになった。
 学説の紹介が興味深い。


田村尚也ビルマ戦線の崩壊』
 なんというか、守勢の局面で、無謀な攻勢に出て戦力をすりつぶす。どう考えても、いちばん駄目なパターンじゃね。我慢が足りないというか。
 で、ボロボロになった部隊で、完全に対処できない状態に。あと、イラワジ会戦で、後方にまわりこんだイギリス第四軍団の動きが、司令部に伝わるまでに、2日も遅れているのが、あまりにアレで。機動戦志向のくせに、情報伝達がガタガタって。


古峰文三「再検証バトル・オブ・ブリテン
 イギリス側が装備でも、要員でも、十分な補充がなされ、優位にあったこと。それに対して、ドイツ空軍は電撃戦の消耗の補充が進まない状況でイギリス航空撃滅戦に突入。そもそも、イギリス側の勝ちは揺るがない戦況にあったと。イギリス側は、戦争の見通しそのものについて、非常に楽観的な見通しを持っていた。
 イギリスの防空体制は、戦闘機コマンド司令官ヒュー・ダウディングのよって建設され、実際に運用された。ダウディングの個性が、戦況に影響したという。戦闘機の生産も、パイロットの補充も順調に行なわれたが、本土を分割して防衛する戦闘機集団に権限を分割しすぎた結果、矢面に立つ第11戦闘機集団は、戦力不足に悩まされることになる。他の戦闘機集団が、手持ちの飛行隊の引き抜きを頑強に拒否し続けた。最終的には、乗員の配置替えで対処された。
 イギリス軍がドイツ空軍の爆撃能力を過大評価して分散配置しすぎ、一方ドイツ側はイギリス空軍の戦力を過小に見積もった、両者の判断ミスも興味深い。ロンドン爆撃も、ドイツの当初からの計画に沿って行なわれたものであったと。
 イギリス空軍内での、政治的な争いも興味深いな。爆撃が主任務で、ダウディングは傍流であったこと。空軍の中枢はもっと年下の軍人で占められ、ダウディングは微妙な立場にあったが、空軍外からの支持によって地位を維持したこと。しかし、バトル・オブ・ブリテン後、ドイツの夜間爆撃を戦略的に重要でないと等閑視したことが、ダウディングの致命傷になったという。さらに、戦闘機コマンド内でも、ダウディングやパークとマロリーの対立が、その後の戦記の記述にも影を落としているという。
 評判の悪いゲーリングの戦闘機直掩命令が、イギリスにとっても都合の悪い展開だったというのも興味深い指摘。


山崎雅弘「分析・IS(「イスラム国」)」
 「七世紀の人間」対「二十一世紀の人間」の対峙って言い方には、疑問を覚えるな。「カルト」は、同時代の問題の最先端に出てくる存在だし。「復古」を唱えていても、彼らは道具も概念も、21世紀的なものを盛んに利用している。


手塚正巳「海上自衛隊の誕生:第一話刀折れ矢尽き 夢は始まる」
 「海軍伝統の美風を後進に伝える」ねえ…
 組織防衛のために、無謀な戦争を承諾した組織が「美風」ですか。


宮永忠正「トリポリ戦争」
 アメリカが初めて戦った対外戦争。なんとなく、後のイメージと異なるけど、初期の合衆国にとって通商と海運は非常に重要だったんだよな。木材資源が豊富で、船を作りやすいというのは、相当な強みだったんだろうな。最初の戦争の制度に与える重要性とか、細かい戦いの話とか。