大内建二『特務艦艇入門:海軍を支えた雑役船の運用』

 日本海軍の支援艦艇を、専用艦と、商船を徴用した特設特務艦艇に別け、解説。さらに、英仏独三国の特務艦艇を紹介という構成。
 しかしまあ、アメリカの建造した特務艦艇の数を見ると、桁が違っていて、どうしてこんな国に喧嘩売ったんだとしか言いようがないよなあ。艦隊給油艦が120隻とか、水上機母艦が39隻とか、兵員輸送船が52隻とか。
 明石や間宮のような、割りと有名な船だけではなく、小型の雑役艇まで紹介されているのが興味深い。艦隊に先立って、敵地に侵入し、強行測量を行なう高性能測量艦「筑紫」とか、細かい行動を知りたくなるな。あと、飛行機救難艇や内火艇など。
 そして、商船を利用した各種特務艦艇。戦争をやる時には、膨大な数の補助艦艇が必要になるのだな。
 ドイツの特務艦艇も興味深い。内海に閉塞していた感の強いドイツ海軍だが、それでも、潜水艦の要員訓練に使う潜水母艦魚雷艇母艦、標的艦練習艦などが存在する。専用艦も意外と多いのが驚き。そういう余裕はあったんだ。あと、多数の客船や貨客船が、宿泊艦として使われているのも特徴か。それだけ、商船が余っていたとも言えそうだけど。

 また十一隻が民間の海運会社に払い下げられたが、そのほとんど全てが大規模に改造され小型客船に生まれ変わり、主に西日本を中心に離島航路の客船として長く活躍した。
 代表的な例として九州汽船社に譲渡された百五十トン型飛行機救難艇がある。本船は熊本県三角港と天草島の本渡港を結ぶ客船に改造されたが、操舵室や甲板客室は見事な流線型に仕上げられ、本船の前身が飛行機救難艇であったことなど全く想像できない姿になっている。p.122

 飛行機救難艇の戦後。三角・本渡間の航路についた船もあったらしい。どういう運命をたどったのかは、自治体史を調べたらわかるかな。
 他の10隻もどこで活動したんだろうな。


 少なくとも、甑島航路に一隻、五島列島に一隻か。
波路丸(なみじまる):甑島航路就航船
大正時代、その6 - 長崎県医師会