河内将芳『落日の豊臣政権:秀吉の憂鬱、不穏な京都』

 華やかなイメージの豊臣政権の時代が、実際には、それには程遠い状況だったことを描き出す。
 とりあえず、「奈良借」がエグい。奈良の町民に、強制的に金穀を貸し付け、利子を納入させる。それにもかかわらず、秀長の城下町郡山が優遇され、奈良町は地子などを取り立てられる状況。奈良の町民は苦境に陥る。何らかの投資先があるならともかく、そうでない家は死ぬるな、これ。秀吉政権時代に金銀貨の流通が促進されたのは、このような強制貸し付けと、朝廷・公家・大名に対して行われた「金くばり」のためだった。
 あるいは、後継者をめぐる政治的動揺が、京都の治安を悪化させる。喧嘩に辻斬り。この当時の辻斬りって、何らかの願いをかなえるために、多数の人間を動員して行う願掛けというか、呪術行為だったのだな。そして、後継者をめぐる不安は、秀次の粛清という最悪の結果に終わる。朝鮮遠征軍からの逃亡者、夫の留守中に別の男と通じる女性たち、秀次家の構成員など、残酷な処刑が三条河原では繰り返された。それに対する反発。
 そして、地震による伏見城下町の壊滅と、その再建。多くの人が負担にあえぐ一方、大坂・堺の商人など、一部は非常な儲けをだした。こういう、格差が最終的に、豊臣家の運命を決めたんだろうな。しかし、今回の熊本地震の余震が多くてうんざりするが、慶長伏見地震も余震の回数すごいな。


 しかしまあ、文禄5年の6月27日に起こった降砂、そして、7月14日に「毛」が降ってきたという現象はなんなんだろうな。前者は、どっかで火山活動があったと考えることもできるが、後者はなんだったんだろう。
 つーか、どこの火山が噴火したものやら。
 そして、このような「怪異」が、秀吉の普請の負担や秀次家の処刑と結び付けられているあたり、豊臣政権の民衆からの支持は、相当下がっていたんだろうなと。こういう無理が、豊臣家の滅亡につながった可能性は高そうだな。


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