山下昌也『わずか五千石、小さな大大名の遣り繰り算段』

 古河公方の末裔、足利家の家として10万石の格を持ち、徳川の幕藩体制からも微妙に外れた位置にいた喜連川家のお話。「遣り繰り算段」といいながら、数字の話はあまり出てこず、エピソード集といった趣の本。「やさしい」がキーワードだけど、どうなんだろうな。たしかに、領内で一揆を起こさなかったのは、すごいと思うが。5000石程度で、一揆起こされたら、あっという間に吹き飛ぶだけ。規模が小さいから目配りが聞いたにすぎないのでは。一方で、金に困ると、喜連川宿の本陣の権利を取り上げて、競売にかけるみたいなえげつないこともやっているしな。
 5000石の領地で、10万石の格式というと、財政破綻不可避のようだが、実際には領地に引っ込んで江戸に出てこない。幕府の役職につかないというだけで、ずいぶん楽なような。猟官工作に金がかかるし、仕事にかかる費用は自己負担だし、ずっと江戸に居る必要があるし。江戸藩邸の維持費や大名間の交際費なんかの負担がない。毎年の年賀の挨拶は、負担だったと思うけど。
 メインの収入源が、宿場の運営とそれからの運上ってのが、おもしろいな。で、上客の伊達藩なんかには、いちいちお出迎え。
 藩政改革もおもしろいな。10代熙氏の「共産主義」っぽい、地主排除を目論んだ検地。ついでに家中の風紀を正すために、上士と下士の区別を厳格にしたが、それが逆に出世が見込めない下士層のやる気を奪い、幕末に到る上下対立の火種を撒いた。
 あとは、吉良上野介が領地拡大のために尽力してくれて、ほぼ実現しかかっていたが、赤穂浪士の討ち入りで沙汰止みになった話とか。知られざる被害者w


 前半は、幕府から小大名のやりくりのお話。国持ち大名の領国だった場所の人間からすると、1万石クラスの大名の所領管理ってどうなっていたのか興味があるな。
 あるいは、水戸藩の「悪政」とか。