小林丈広他『京都の歴史を歩く』

京都の歴史を歩く (岩波新書)

京都の歴史を歩く (岩波新書)

 京都を歴史の観点から歩く本。地図と首っ引きだから、この手の本は読むのが時間かかる。
 先日読んだ『歴史家の案内する京都』と比べると、取り上げられている時代が新しい感じがする。あと、イメージ形成に筆を割いているのが興味深い。舞妓が伝統芸能の継承者としてイメージ形成されていく過程。嵐山が女性の隠遁場所というイメージが作られる過程。つーか、祇王寺とか、滝口寺って、割合最近、再興された寺なんだな。宇治が、平安文化を象徴する街になっていく過程。江戸時代には、平家物語の先陣争いや源頼政の自刃場所として知られていて、「頼政の遺物」と称するものが有料で見せられていた。それが、平等院鳳凰堂の美術史的な再評価から、平安文化を象徴する街と読みかえられていく。あからさまに、作られたイメージなんだな。これが観光開発か。


 京都市中心部、四条河原町から祇園方面の記述が厚いのも特徴。室町通りを中心とした祇園祭を支えた町衆たち。近代に入って、芸能の街として再開発された新京極通り。祇園祇園社関連の塔頭が、近代にはホテルの変わっていくというのがおもしろい。清水坂の被差別民。近代に文教地区として再開発された岡崎。京都御苑に公家町のよすがを探す。京都御苑は、よく行っていたけど、閑院宮邸跡が、わりと保存状態よく残っているというのは、知らなかった。あとは、高瀬川沿いの木屋町通りとか。
 あるいは、「学都」京都と公家社会の関わり。


 郊外だと、北野から金閣寺にかけての「北山新都心」、大津から蹴上までの旧東海道、岩倉の実相院周りの病院集中地域が興味深い。
 足利義満が深く関与した北野天満宮金閣寺の邸など。あのあたり、有力者が集まる権力中枢だったのだな。今は、あまり痕跡が残っていないみたいだけど。
 牛馬が行きかった逢坂山をはじめとする東海道。山越えは意外と短そうだな。自転車では、山越えがきつそうだったので、学生時代には行ったことないけど。せいぜい蹴上までだった。車石は、他の本で読んだことがあるな。日岡峠の旧道がおもしろそう。
 あと、岩倉実相院周辺がものすごく興味深い。眼病や狂気を癒す霊験が謳われた大雲寺。地元の百姓が養生ための茶屋を設置。その経営者が、近代医療をキャッチアップして、病院を建設していく。地図を見ると、病院が3つ、老人介護施設が2つくらい、集中していて、なんかすごい。


 京都は小規模な博物館がたくさんあるのが興味深い。本書で、知ったものとしては「眼科・外科医療歴史博物館」京都市:柳原銀行記念資料館、城守保養所資料館。うち、最初と最後のは、要予約。


 昭和10年の水害も、京都の水路を考えると、重要だな。

 一方、経堂と関わりの深い輪蔵については、現在、愛媛県新居浜市にある曹洞宗の寺院・佛國山瑞應寺が所蔵している。輪蔵とは、仏典を納めた回転式の蔵をさし、これを回転させることにより、仏典読誦と同等の功徳が得られると考えられていた。大塚紀弘氏の研究によれば、輪蔵はまず唐代・宋代の中国で造られるようになり、その後鎌倉中期に日本においても造られるようになったといい、時代を下るにつれ、京都・鎌倉から諸国へと建立地が拡大していったという。このような流れの中で、北野天満宮においても、応永一九年(一四一二)覚蔵房増範の勧進により一切経の書写が始められ、その翌年にこれを納める輪蔵が建立されたと伝えられている(『大日本史料』七編之十六「洛北千本大報恩寺縁起」)。一切経書写の勧進にあたった覚蔵房増範は、以後、一切経の管理と経堂の管理を担うとともに、万部経会の経奉行となった。p.127

 おお、マニ車の巨大版があったのだな。これ、下にモーター入れて回せば、国家鎮護に霊験あらたかじゃね。
 しかし、神社の仏教関係の施設は本当に弾圧されまくったのだな。この輪蔵も、有志が保存しようと思わなかったら、破壊されていただろうし。