伊藤章治『ジャガイモの世界史:歴史を動かした「貧者のパン」』

ジャガイモの世界史―歴史を動かした「貧者のパン」 (中公新書)

ジャガイモの世界史―歴史を動かした「貧者のパン」 (中公新書)

 「ジャガイモの世界史」(伊藤章治、中公新書)地道に売れてまた増刷。ファンタジー警察も必読(笑)?/岩波新書や、同著者サツマイモ本も - Togetterまとめで、気になったので。似たようなテーマで、同時期に岩波新書から出た山本紀夫『ジャガイモのきた道』asin:4004311349を読んで満足して、手を出さなかった本。改めて読むと、それぞれスタイルが違って、おもしろい。こちらは、紀行文といった性格が強く出ている感じ。あと、個別エピソードにはおもしろいのも。特に、日本の比較的最近の時代のジャガイモを紹介しているのが良い。


 しかしまあ、ヨーロッパであれだけ、ジャガイモに対する抵抗が強かったのがおもしろいよなあ。これほど、適した作物はなかったにもかかわらず。一方で、根菜文化、イモ食文化がある東南アジアでは、早く根付き、そこが東アジアへの伝播のセンターとなったようだが、寒冷地の作物であるジャガイモが、温暖湿潤な東南アジアでどうやって生き延びたのだろうか。


 あとは、ジャガイモを伴走者に、日本国内の問題のはけ口としての植民地の姿が見えるのも印象的。足尾鉱毒事件で、生計基盤を失った人々を北海道のオホーツク海沿岸に入植させる。あるいは、昭和初期の不作で疲弊した農民を送り込む満州。こうやって、居住地から引き剥がすのが「救済」策であるというのが、アレだな。
 ついでに言えば、アイルランドのジャガイモ飢饉といい、昭和初年の東北の飢饉といい、ジャガイモは雨がシトシトと降りつづけるような天候に弱いんだな。


 戦後、ドイツの食糧難。ベルリンのティアガルテンがイモ畑になった話は、まさに日本と同じだよな。ティアガルテンは行政が区画に分けて貸し出したそうだが、日本の国会議事堂前の畑は、どういう権利関係だったんだろうな。そういうところを調べた話、あまり聞かないな。旧ソ連も、市場経済の導入で物価が急騰したときに、市民は、別荘の畑でジャガイモを育てて、生き延びた。
 流通が崩壊したときの、最後の砦が畑とジャガイモと…


 そして、ジャガイモと言えば絶対出てくるエピソード、アイルランドのジャガイモ飢饉。イギリス人の極悪ぶりを示す話だよなあ。次々餓死している人がいる中で、小麦をイングランドに輸出する。ジャガイモも、湿気には弱い。
 あるいは、ソ連の1991年クーデタで、ジャガイモの収穫時期を見計らって、クーデタを計画したと言う話もおもしろい。結局、無駄だったわけだけど。

 インド出身の経済学者で、一九九八年のノーベル経済学賞を受けたアルマティア・センは、東京新聞のインタビュー(一九九九年一月)で、
「飢饉は食糧の不足で起こるのではない。貧しい人に食糧を買えるだけの所得を創出すれば、飢饉は防止できるのだ」
 と明快に答えている。「飢饉は社会的産物だ」というのだ。それが九歳のとき、三〇〇万人が餓死したインド・ベンガルの飢饉(一九四三年)を目撃、それを契機に経済学の道に進んだセンの結論である。p.63-4

 同様の話は、菊池勇夫『飢饉』でもあったような。だいたい、分配の問題なんだよな。