小川さゆり『御嶽山噴火生還者の証言:あれから2年、伝え繋ぐ共生への試み』

 御嶽山の噴火の時に、山頂近くに居合わせ、九死に一生を得た人の体験記と、教訓を考える本。前半の体験記は圧巻。自分の経験と他の人から聞いた話から当時の状況を再現する。一方で、後半の、「教訓」を得ようとする部分は、なんか、すごく迷走している感じがある。どんなにリスクに備えていても、高温の火砕流に襲われたら、死ぬわけで。リスクを考えると、活火山の火口には近づかないというのが、最適解だと思う。信仰の山で、長い歴史を持つ観光地である御嶽山で、登山者を遠ざけてしまうというのも、また、非現実的とは言えるだろうけど。
 火山のリスクがある場所に近づく以上は、突然の水蒸気爆発への心構えと対応の知識を持っておくべき。で、シェルターなどのハード面の対策が必要と言うのは確かだろう。一方で、噴火時の経験から、ヘルメットやマスクは、限定的な効果しか持たないことが指摘される。確かに、一撃で骨が折れるような火山弾だと、ヘルメットの効果は限定的だろう。ないよりマシではあるものの。マスクも、火山灰が舞う状況で、シェルターに逃げ込めれば、健康維持には機能すると思われるものの…
 「お鉢」の尾根上で噴火に遭遇し、岩陰に逃げ込む。その後、一時、噴火が沈静化した隙に、一ノ池をショートカットして脱出した、とっさの判断力がすごいな。近辺にいた人々は、3人死亡、2人負傷だから、まさに時宜を得た決断だった。しかし、これも、最悪の場合、遮蔽物のないところで火山弾に晒された可能性もあるわけだから、「運」のようそは大きい。


 弾道軌道で飛んでくる火山弾とか、本当に怖いな。上から降ってくるから、岩の陰に隠れたくらいでは、防げない。逆に、トタン屋根でも、屋内に逃げ込んだ人からは、死人がでていないんのか。一枚あるだけで、ずいぶんと違うものだ。
 2014年の御嶽山噴火では、火砕流が比較的低温だったため、およそ250人ほどいた登山者のうち、死者は63人。1/3くらいの死亡率になっている。火砕流による気管熱傷でなくなっている人もいるので、部分的には熱い場所もあったらしい。しかし、なんだかんだ言って、火砕流がある程度の温度だったら、500メートル圏の人々は全滅だったわけだよなあ。


 むしろ、規模の小さい水蒸気爆発は予測しにくい。3000メートル級の山では、高山病の危険が高く、直接ヘリで乗りつけるほうが、そのリスクが高い。
 当局が、被災者や御嶽山に詳しい人々から情報や協力を得るの失敗してたらしい状況。著者が、記憶を元に行方不明者がどこにいる可能性が高いかを警察に伝えたが、反応がなかった話。遺族に伝えて、遺族側からの働きかけで捜索が行われ、遺体が発見された。効率的な捜索に失敗した結果が、5人の行方不明者と。
 マスコミへの不満も印象的。ネット社会において、マスコミの取材を受けるのは、リスクなんだなあ、と。さまざまに切り取られた言葉が、あちこちで思わぬ反応を引き起こす。編集の過程で、思いもよらない言葉に変化してしまうと。


 水蒸気爆発のその場に遭遇するリスク、御嶽山の事例くらいだろうと思っていたが、ツラツラ考えると、そうでもないな。地元熊本に、火口への接近を売り物としている阿蘇山という山が存在するわけで。最近は、火山ガスや噴火の影響で、近づけないけど、先日パイロット事業という形で火口への接近が行われたし。
 箱根も、火山にかなり接近している観光地だわな。登山で、火口に近づける山はたくさんありそう。
 個人的には、富士山で、御嶽山のような予想もしない噴火リスクが高いのではないかという感じが。信仰の山で、半ば観光地化していて、たくさんの人が押しかける山という点で共通点が。まあ、今のことろ、マグマ溜まりは、ずいぶん深くにあって、おとなしくしているようだが。


 以下、メモ:

 さらに噴火を予知できないということより驚いたのが、学者、気象庁職員が「九月下旬、山頂に大勢の登山者がいるとは思わなかった」ということだった。報道から知り得た情報で直接聞いたわけではないのだが、何かの間違いだと思いたい言葉である。二十四時間態勢で見ていたのは机の上のデータだけで、そこに登山者がいるかどうかは特に問題ではなかったのであろうか。監視は、人の命を守ることを目的にした火山防災の一つではないのだろうか。登山者の命を守ることは、そのなかに入らないのだろうか。p.91

 登山に縁がない人は、知らないことだと思うが。気象庁の人も学者も、全能ではないし。
 今までは、前兆現象があって、だいたいは、火口周辺にあまり人がいない事例がばっかりだしな。前例のないことが、盲点になってしまうことはよくあることではなかろうか。

 小屋同士の連絡は携帯電話だったようだ。消防と直接やり取りをして避難のタイミングを計っていた小屋もあった。携帯電話を充電することが困難であったなか、報道の電話が殺到し、唯一の交信手段の携帯電話の電池をムダに消耗させられたという。非常事態の際に一刻も早く現場の状況を知りたいのは分かるが、そういうときこそ待つ配慮が必要ではないだろうか。緊急事態に備え、小屋同士、また外部との伝達手段も、より良い方法を考えることが必要だと思う。それは緊急事態のなかで、迅速な対応につながるのではないだろうか。p.109-110

 マスコミの迷惑行為。地震なんかの時に、テレビで、よく役場やあちこちに電話をかけているけど、あれも、相当迷惑なんじゃ。
 あと、緊急用の通信手段も、よいものをとなると、コストがかかるのが問題だよなあ。

 ヘリで行けば時間は短縮できるが、標高三〇〇〇メートルを一気に行けば体が高所順応できずに高度障害が出る。頭痛、吐き気、だるさ、食欲不振。ハッキリ言って二日酔いと同じである。普通なら半日は動くのがだるいはずである。時間がかかっても登山道を歩いていくほうが体は順応するため、仕事の能率から考えればいいのかも知れない。多くの隊員は高度障害になっていたと推測するが、それを自覚することさえ許されなかった現場だったと思う。p.124

 かなり無理をしていたと。3日目以降の捜索活動は、もう少しどうにかならなかった感があるな。