近藤康史『分解するイギリス:民主主義モデルの漂流』

 とりあえず、小選挙区制はクソと。それを、時代遅れになりつつあった時期に取り入れた日本もクソ。
 サッチャーの傷跡の深さ。「小さな政府」と称して、福祉予算の削減、デフレ政策による失業者の激増。福祉と完全雇用を目指す「合意政治」を破壊。その上で、サッチャー以後は、労働党政権も含めて、「右」に政策が寄って、地方や貧困層が取り残された。で、ブレグジットでそれが可視化。二大政党の内部分裂やエリートに対する不信も含めて、イギリスでは、政党政治ごと民主主義が沈没しつつあるように見えるな。
 政治学的な、長期的、制度的な分析で、現状のイギリス政治を腑分けしてみせる、「分解」のダブルミーニング


 全体は、おおよそ4章構成。
 第1章がおおまかな理論的見通し。第2章が「合意するイギリス」というタイトルで、政党間の合意が取れていた1970年代までと1990年代以降の話。第3章は、ブレグジット国民投票で露になった二大政党の内部分裂と政党政治そのものの弱体化。最後は、ふたたび制度に関するまとめ。


 第1章は制度的まとめ。議会主権。小選挙区制度とそれによって形成される二大政党制。議会多数派の党首が即首相になり、また党組織がトップダウンのシステムのため執政が優位になる執政優位と政党の一体性。さらに、「連合王国」と名乗りながら中央集権的な国家体制。これらが、「一人でも多い多数派」が政策を決定する「多数決型民主主義」を、制度的一貫性をもって支えていた。しかし、これらの六要素が、それぞれバラバラの方向に変質していっていることが、現在のイギリス政治の混迷を生んでいると。


 第2章は、「合意政治」の姿を、1960年代と1990年代の状況から描き出す。1960年代には、福祉国家完全雇用の観点で「合意」が形成されていた。市場原理主義的な保守党も、多数派の支持を獲得するためには、福祉国家の方向を取り入れることを強いられた。80年代になるとサッチャー保守政権によって、合意の破壊が試みられるが、恩恵を受ける人間が多い年金や医療では、失敗した。そして、サッチャー後、トニー・ブレア労働党をネオ・リベラリズムの方向に修正して、大勝。こちらの方向で、新たな「合意」が形成される。有権者ボリュームゾーンが中道であり、階級による投票の偏差が消滅したことによって、「合意」の方向に引き寄せられることになった。しかし、ネオ・リベラリズム寄りの「合意」は、取り残された人々の、政党政治からの離脱という副作用を生んだと。


 第3章は、一章で紹介された制度的要素の変質。
 EUに対する態度をめぐって、保守党内部でEU懐疑論と支持が対立。労働党内でも、左派が反EUの一方、右派は親EUと意見が分かれる。1975年に既に、当時のECに残留するか否かで国民投票が行われていると、当時から二大政党で処理できない問題だった。また、英国独立党が、移民をキーワードに労働党支持のブルーカラーを蚕食し、一方で保守党のEU懐疑派を取り込んでいく。
 また、中央集権も、スコットランド独立運動の動きの中で、スコットランド議会の設立。さらに、スコットランド国民党の支持拡大によって、分権化が進む。また、スコットランド国民党の躍進は、労働党から大きな支持基盤を奪っていくことに。
 さらに、首相が、閣議や党をスキップして、政治的に任用したスタッフを中心に政策を練る、「大統領型」リーダーシップの方向性は、集権的な志向だが、実際には揺り戻しもあり、不安定に。
 さらに、キャメロン保守党政権の緊縮政策、特に、貧困層への給付と地方政府への支出の大規模な削減は、社会に大きな亀裂をうみ、さらに、オルタナティブと期待された政党も失墜。
 これらから、分解の動きが見えるようになると。ブレグジット国民投票のとき、ロンドン以外の地域のほとんどが離脱賛成票を投じ、また、所得・学歴が低い層ほど賛成票を投じたけど、それにはキャメロン政権の時の緊縮財政の傷が大きかったのだなと。


 最後は、投票率や制度からの、イギリス政治の「分解」の様を描写。二大政党は得票率が低下し、スコットランド国民党自由民主党、英国独立党などの政党が出現、多党化が進んでいる。しかし、小選挙区の効果で、30パーセントほどしか支持を受けていない政党が過半数を取ってしまう事態。さらに、多党化は、第一党より、二位の政党の議席を押し下げる効果があり、1990年代以降、政権交代の頻度が激減。政権交代によるアカウンタビリティ機能を掘り崩している。どこの日本だという感じだな。小選挙区は極悪。
 また、EU議会やスコットランド議会といった議会の上下レベルで比例代表性が導入され、「効果の汚染」で多党化が進展している。同じようなことが、日本では小選挙区比例代表制や地方選挙の中選挙区によって起こっていると。ここらあたり、どっかで読んだなと思ったが、 砂原庸介『分裂と統合の日本政治』 - 西東京日記 IN はてなか。
 さらに、二大政党の内部対立とそれを克服するための国民投票の多用は、あまり望んでいた効果が得られていない。「大統領型」執政とともに、議会をスキップする方法であり、議会主権の空洞化が進んでいる。
 このように分権化・分散化の方向へ進んでいる動き。逆に、首相のリーダーシップなど権力集中の動き。従来のように、得票率と比べて、議席数が拡大する効果を維持する小選挙区制度。それぞれが、一貫性なく動き、機能不全の状況に進みつつあると。


 最終的に、「モデル」にはなりえないが、危機や行き詰まりへの対応を見て、「学び」の対象になりえると。むしろ、「二大政党論」の平板さに比べると、イギリスの現実の対応は、ディテール豊富で参考になりそうだけど。反面教師の部分も多そうだけど。


 そういえば、英国独立党の結党が、1993年って結構昔なのが印象深い。


 以下、メモ:

 サッチャーの政治的信条の根幹は、何よりも「個人」にあった。サッチャーが言ったとされる「社会などというものはない。あるのは個人と家族だけだ」という言葉は、それを端的に示しているだろう。イギリス政治研究者である小堀眞裕は、「サッチャーの考え方は、徹頭徹尾、独立した諸個人に信頼を置くもの」であったとしている。p.102-3

 はあ。実際には、「個人主義」なんて存在しなんじゃないかな。社会学も、そういう方向だし。

 比較政治学者であるトーマス・ボグントケとポール・ウェッブは、このような「大統領制化」は、選挙、政党、執政の三局面で生じるという。まず選挙での支持獲得は、マス・メディアの発達にも伴い、党首のパーソナリティや人気と強くリンクするようになった。したがって選挙運動も、党首の個人的側面をテレビなどによってアピールすることがメインとなってきたのである。これは、アメリカの大統領選などでは通常のことであったが、議院内閣制をとる国家の選挙でも見られるようになってきた。p.164-5

 日本でも、同様だな。