- 作者: 高橋慶史
- 出版社/メーカー: 大日本絵画
- 発売日: 2017/05/02
- メディア: 単行本
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しかしまあ、オットー・スコルツェニーが絡むと、ダイハードな感じにはなっても、後での秘密警察みたいな感じはなくなるなあ。
紹介される部隊は、前半、第一部がSS部隊。この巻は、特殊作戦部隊特集といった感じか。SS第500/600降下猟兵大隊、SS駆逐戦隊群、SS第16機甲擲弾兵師団「ライヒスヒューラーSS」、SS第24武装山岳(カルストイェーガー)師団。
後半は国防軍部隊。クレタから末期イタリア戦線に送り込まれた第212戦車大隊。ロレーヌ地域で無謀な反撃に投入され、あっという間に消滅した第111~113戦車旅団。最後は、知られざるトップ・戦車エース、クルト・クニスペル曹長について。
第1章「桂馬の高飛びチトーの餌食」は、SS第500/600降下猟兵大隊のお話。
懲罰兵士を集めて編成された部隊。初陣は、チトーを拘束するレッセンシュプルング(ナイトの跳躍)作戦で、待ち構えた陣地につっこんで大損害を受ける。その後は、精鋭歩兵部隊として戦線の火消しに駆け回ったあと、特殊部隊扱いでスコルツェニーの下に。王宮を占拠する「パンツァーファウスト」作戦、バルジの戦いで米兵に化けて浸透しようとした特殊作戦「グライフ」の構成部隊に。通常の部隊として、攻撃を行うが、砲撃で撃退。さらに、シュヴェット橋頭堡での戦いに投入。スコルツェニーと分かれても、各地の橋頭堡防衛戦に投入され、戦車部隊に対して、肉弾戦を挑む。
グライフ作戦とか、後に出てくる戦車旅団の作戦にしても、砲兵の支援を受けないでの攻勢は無謀だよなあ。バルジ戦の時には、砲兵部隊の集中運用が試みられているはずなのだが。恩恵を受けられなかったのかな。
あと、橋頭堡防御戦でも、ソ連のドクトリンは、砲撃による「破壊主義」で、歩兵陣地もボコボコにされるはずだけど、こういう降下猟兵が投入された橋頭堡ってのは、非主流戦域で、砲兵部隊が居なかった。その分、小さく活躍できたってことなのだろうか。
第2章「平和の谷の住人達」は、SSの特殊作戦部隊の話。
特殊部隊が欲しかったヒトラーに、防諜方面で権限を拡大したかったヒムラーの合作。で、スコルツェニーが抜擢。後方でくすぶっていたが、実戦経験、技術者、航空機操縦経験など、特殊作戦にはうってつけの人材だったと。ムッソリーニの救出やハンガリーのホルティ・ミクローシュ提督の拘束などの作戦を成功。その後、防諜を一手に担っていたカナリス提督が、ヒトラー暗殺未遂に関わって拘束。諜報活動はSSに移管。ここで、組織が膨れ上がる。とはいえ、大戦末期、顕著な成果はないような。
駆逐戦隊群は、中央・南東・南西・東・北西に編成され、各地で戦線後方への侵入やそれによるゲリラ部隊の組織などを行っているが、ソ連軍の圧倒的な攻撃の前に、活動は限られたものだった。つーか、基本的のこの種の特殊工作の類は、連合国側の方が上手って感じだな。戦線後方に取り残された敗残兵部隊を支援する特殊作戦「フライシュッツ」が、完全にソ連に騙されて、偽の敗残兵グループに必死に支援しまくっていたとか。
終焉の「アルプス要塞」もアレだなあ。名ばかりの要塞に必死に篭って、ゲリラ戦って。まあ、既に、ぱrスコルツェニー自身がやる気なかったようだが。
第3章「名は体を表す」は、SS第16機甲擲弾兵師団「ライヒスヒューラーSS」を取り上げている。
ヒムラーの役職を名前にもらっているのに、冷遇されまくったSS三流師団のお話。普通の歩兵師団くらいの仕事はしているし、「住民虐殺しかできなかった部隊」というのは、厳しすぎる評価のような。マルツァポットの虐殺など、パルチザンとの戦闘に絡んで民間人虐殺に関わっている。ディルレヴァンガーやハンジャールあたりと比べると、普通の戦闘部隊っぽい感じだと思うけど、比較対象がおかしくなっている感もあり。
ヒムラーが前線近くに出向いたときの護衛部隊として構想された護衛大隊「ライヒスヒューラーSS」が元。独ソ戦の序盤で、機械化部隊として戦場の火消しに活躍。その後、部隊は逐次拡大され、旅団の時期には、コルシカ島のイタリア軍部隊の武装解除に従事。その後、1943年10月から師団に。訓練を受けた兵士が3000人しか居なかったハンガリー占領作戦とか、1944年6月の段階でも兵員・車両の充足率が低いが、これって、師団長マックス・ジモンSS少将の政治力が低かったのかねえ。
その後は、イタリア戦線での防衛戦。イルゼ・ラインの周囲の部隊がこれまた、なんというか。冷遇されまくったSS師団が、まだ、まともに見えるラインナップで、案の定、あっという間に戦線を突破される。その後も、イタリアを転戦した後、ハンガリーに移動し、ドイツ軍最後の攻勢「春のめざめ」作戦に参加。その後は、撤退を繰り返し、オーストリアで英米軍に降伏。SS師団としては、まともな終わりかたなんじゃ…
第一部最後は、カルストイェーガー部隊。「カルスト」は翻訳する言葉がないなあ。カルスト猟兵としか、訳のしようがないような。
最初は小規模な山岳エリート部隊として創設。その後、逐次規模が拡大すると同時に、アルプス地域でのパルチザン掃討部隊となっていく。最後は、イタリア・オーストリア国境地域を防衛して、撤退してくる部隊を収容。英米軍に降伏。
イタリア製重戦車P40を装備したSS第24戦車中隊の戦いが興味深い。曲がりなりにも75ミリ砲を装備しているから、それなりに使えたんじゃなかろうか。カタログスペック的には、75ミリ砲装備のシャーマン戦車と略同等なんだけどなあ。車長兼砲手というのが、アレか。
第二部は、国防軍部隊。
第5章「クレタからチロルアルプスへ」は、第212戦車大隊のエピソード。
クレタに配備された軍直轄部隊の212戦車大隊。ソミュアS35、オチキスH38、マチルダ2、一号戦車、二号戦車、三号戦車と雑多な戦車のたまり場になっているのがおもしろい。四号戦車の長砲身型が最強で幅を利かせるのか。
あるいは、クレタ島のパルチザンとか。燃料貯蔵施設に破壊工作を行ったのか。
そして、ソ連軍の攻勢により、ドイツ、南ウクライナ軍集団が崩壊。バルカン半島のドイツ軍が撤退。そのときに、第212戦車大隊の人員の大半が、イタリアに。75ミリ短砲身砲を装備した三号戦車で、最末期戦を戦う。カルストイェーガーと同じ舞台なのが、心憎い。
しかし、戦線崩壊の鉄火場に放り込まれるのと、クレタ島で飢えといつ連合軍が上陸してくるかおびえ続けるの、どっちが楽だったのだろう…
第6章「ロレーヌは戦車旅団の墓標」は、あっというまに壊滅した第111、112、113戦車旅団の話。
1944年9月にナンシー西郊で、攻勢に出た三個戦車旅団があっという間に壊滅。本当に、数キロの範囲の戦いだったんだな。こんなところじゃ、流石にパンターの長射程が生きないなあ。しかも、歩兵少ない、通信部隊少ない、砲兵いない、制空権なしときたら、普通にあっという間に壊滅するだろう。機動防御には使い勝手の良さそうな部隊だけど…
100両近い戦車部隊があっという間に溶けていくのか。
もう、航空戦力でケチョンケチョンにやられているし、対戦車戦闘でもいいところなし。パンターでも、使い方が悪いとこうなるのか。もう、この時期は戦車部隊単独による突破が可能な時代じゃないよなあ。
最後は、「知られざる戦車エース」クルト・クニスペルについて。へえ。168両撃破のトップエースが、知る人ぞ知る状態なのか。とはいえ、戦車のエースって、定義しにくいな。車長がすごいのか、砲手がすごいのか。この人は、長らく砲手だったから、そのあたりもあるのかね。
生き延びて本を書いたオットー・カリウスや、伝説的なヴィレル・ヴォカージュの戦いのミハエル・ヴィットマンあたりはともかくとして、100両越え戦車エース14人でも、ぱっと私クラスの一般人が名前を記憶しているのは、少ないからなあ。
クニスペルが騎士十字章を受けていないのが不思議とされているけど、5番目のロルフ・メビウス、9位アルノ・ギーゼン、10位ハンス・ロンドルフ、11位ハインツ・ゲルトナーあたりは、勲章そのものをもらっていないし。それほど不思議でもないような。
第12戦車師団、第13戦車師団に所属して、レニングラード方面やカフカス戦線を転戦。その後、第503重戦車大隊に移って、タイガー、キングタイガーを乗り継ぐ。クルスクから、ノルマンディー、ハンガリーと転戦。ハンガリー・オーストリア国境付近で戦死。遺体が掘り出されているが、地雷で戦死。脱出したときにやられたのかね。
神がかり的な腕の砲手であったのは確かなのだろうな。
戦車エースの一覧が掲載されているが、重戦車大隊か突撃砲部隊の人が多いな。攻勢に使われるより、防御戦闘の方が集ってくるから、スコアを稼ぎやすかったのだろうか。