古峰文三『「砲兵」から見た世界大戦』で、ドイツの火力戦転換のモデルケースとして紹介されていた第18砲兵師団が取り上げられて注目していた。予算がなくて、なかなか読めなかったのだが、やっと読めた。
今回は、だいたい4テーマで構成。
最初はエストニアの沖に浮かぶ諸島サーレマー島、ヒーウマー島、ムフ島の三島をめぐる独ソの戦い。ドイツ軍側はともかく、ソ連軍はガン無視しても良さそうなものだが。逆に、ドイツ軍も苦しい戦況の中、戦力を引き抜いて守る無駄さが。
続いては、悪名高きディルレヴァンガーとその部隊の戦歴。
第二部に入って、その7割程度が、短命だった第18戦車師団とその後継部隊第18砲兵師団と第88重戦車猟兵大隊の戦い。
で、ラストは、ブルムベアこと四号突撃戦車とそれを装備した突撃戦車大隊の戦歴。
最初は、前後編でバルト海三島の戦い。
エストニアの沿岸のサーレマー島を中心とする島々は、ドイツ軍が海上経由で輸送路を形成するのに邪魔だった。そこで、攻略戦が行われることに。雑多な上陸用舟艇を動員しまくる上陸作戦。日本軍と、どっちが上陸作戦では準備が整っていたのだろうか…
その後は、戦線後方となって、ほとんど忘れ去られていたが、ソ連軍の反撃にともなって、再び戦場になっていく。しかしまあ、米英軍がクレタ島やチャンネル諸島とか、戦略的に重要性のない島をガン無視して進撃していったのに比べると、対照的だな。そして、ドイツ軍も足りない戦力を引っこ抜いて数個師団を戦略的重要性のない島につぎ込む。
ドイツ側視点の話だから、ソ連側の上陸作戦についての情報がほとんど無いけど、ソ連がはこの三島奪還のために、どの程度の舟艇を準備したんだろうなあ。
あとは、戦力が劣る側が、同じようにソルヴェ半島に陣地を形成して戦う、似たような行動パターンを取るのがおもしろい。同じような状況では、誰しも取る作戦は同じ、と。
とりあえず、ランドヴァッサーシュレッパーがかわいい。けっこうでかい車両のようだけど。
続いては、ワルシャワなどで悪名を響かせたオスカー・パウル・ディルレヴァンガーと、彼の指揮下の囚人部隊の戦い。いや、ホント、単なる山賊状態だよなあ。戦線後方で略奪しまくっていただけ。
それでも、焼け太りでだんだん大きくなっていく部隊。ベラルーシ、ポーランド、チェコスロヴァキアと暴れた後、ハンガリーで前線に配置されるが、そこで決定的な失敗を。思想犯を集めた大隊が一挙に集団投降。戦線が崩壊。その状況を把握していなかったディルレヴァンガーは病気休養と称して更迭されてしまう。その後、指揮官が替わっても戦い続ける。
ディルレヴァンガー本人は、身を隠していたが発見されて逮捕。ポーランド兵の看守に虐待されて死亡。平和な時代だったら、社会不適合者としてあっという間に転落していったであろう人物が、二度の戦争で「大活躍」することになった。
彼の経歴を見ると、武装親衛隊の幹部であったゴットロープ・ベルガーとの友人関係が、最後までものを言っている。ナチス・ドイツって、こういう幹部クラスの個人の政治力が異様な力を持つ世界なんだよな。
囚人部隊をまとめるだけの指導力はあったけど、軍事的能力は欠如していた人物。
第二部は、イギリス侵攻用の潜水戦車部隊を基礎に編制された第18戦車師団の戦歴。潜水戦車の唯一の晴れ舞台が、ブーク河渡河か。その後は、バルバロッサ作戦、タイフーン作戦、スヒーニチの戦闘、ツィタデレ作戦に参加。その後、1943年9月に解隊される。
隷下の部隊は、第25装甲擲弾兵師団などに供出。第88戦車猟兵大隊が、重戦車猟兵大隊になって、後で再登場。司令部や支援部隊は、第18砲兵師団の母体になる。
第18砲兵師団は、1943年12月にウクライナのコジャーティンで初陣を飾るが、砲兵の部隊に前線を守らせるという運用の失敗から師団は大損害を受ける。しかし、その後、反撃作戦「コジャーティン」やフーベ包囲陣での防御戦では、火力戦の力を遺憾なく発揮する。しかし、バグラツィオン作戦で中央軍集団が崩壊するなかで、貴重な砲兵部隊としてバラバラに分割されて、それぞれ軍直轄砲兵部隊として運用されることになる。
装備が値切られていても、100門近い砲兵が特定の作戦地域に集中されれば、大きな力になるよなあ。部隊構成で見ると、第四砲兵観測大隊が配属されていて、閃光探索中隊や音響探索中隊があって、対砲兵戦を意識していたのだろうなあ。これで、歩兵連隊でも配属されていれば、万能型の部隊になったんじゃなかろうか。
そして、第18戦車師団関係の最後は、第88重戦車猟兵大隊。ナスホルンを装備し、大活躍した部隊。88ミリ対戦車砲はさすがというか、防御力が多少低くても、攻撃力が高ければ活躍できるのだな。フーベ包囲陣、ポーランドからドイツ本国、ゲルリッツ方面で戦い。最後はチェコに南下して、連合軍に降伏。最末期にも、バウツェンの戦いに関わったり、高い戦闘力を維持した。
わぁい突撃戦車、taron突撃戦車大好き。
ラストは、毎回変わり種の部隊を紹介しているが、今回は一般よりということで駆逐戦車を紹介。15センチ重歩兵砲は、短射程・大重量で扱いにくかったが、威力が評価されて自走砲化が模索された。一号、二号、ロレーヌシュレッパーとプラットフォームを変えてきて、最後が四号戦車車台だった、と。しかし、重装甲を施したため、最終変速機への負担が大きかった。遺棄された車両が、片っ端から前端の最終減速機を抜かれているのが印象深い。
結局、市街戦で、相手の反撃をはじき返しながら、大火力で建て物をぶっ壊すという当初の構想通りの使い方をされたのは、ワルシャワ蜂起の鎮圧戦くらいだったのかな。その他は、突撃砲と同じような使い方をされている。それだけ、15センチ砲と前面100ミリの装甲は使い勝手が良かったのかな。戦車を撃破しているのは、成形炸薬弾が支給されていたのかなあ。
そういえば、なんでかブルムベアが75ミリ砲を積んでいると思い込んでいたのだが、なんでだろう。あと、ブルムベアは西側の呼称で、ドイツ側がそう呼んだことないのね。
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