死之都 ―Necropolis― Berlin 1945

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 「小説家になろう」も、たまに、こういうノンフィクションものがあったりする。


 これは、ナチスドイツ末期、ベルリン包囲戦に参加したドイツ軍部隊のうち、装甲師団ミュンヘベルクを除いたものの戦歴。
 ベルリン全面で防衛戦を展開して、ボロボロになった第56装甲軍団麾下の5個師団。そして、そのほか、雑多な部隊群。
 こうしてみると、本当に土壇場に至るまで、ベルリンには高射砲部隊以外の戦闘部隊、全然いなかったんだな。警護大隊グロスドイッチュランドとか、戦闘団モルトケとか、警察装甲車小隊とか。あとは、海軍省など省庁勤務の軍人など。まあ、わざわざ、ベルリンという都市に野戦部隊を張り付けるくらいなら、野戦軍編入して、ソ連軍部隊を何とかしようと思うわな。というか、高射砲塔なんぞ建設している時点で、立派にトチ狂っている感はある。
 高射砲師団は、54個中隊。一中隊4門として、200門、6門だと300門くらいあったことになるが。実際のところ、撤退戦で重装備を消耗していたであろう56装甲軍団よりも、火力の中心はこの部隊だったのだろうな。


 火力戦に注意が向くようになると、対砲兵戦で撃滅されなかった三個国民砲兵軍団の威力が印象的だな。16個大隊だと、定数通りだと192門になるのかな。まとまった砲兵戦力だけど、ソ連軍の砲兵火力と比べると、蟷螂の斧感が強いなあ。なんで、ジューコフは、砲兵部隊を軽視したのか。あと、これらの国民砲兵軍団は、戦線突破後の後退戦の中で、どんな運命をたどったのだろうか。
 逆に、ソ連側の火力戦の威力も、印象的。第20装甲擲弾兵師団の項目には、回想記が引用されているが、砲爆撃で指揮系統がマヒしかけていて、身動きも取りにくい状況に。


 第9降下猟兵師団が、割と醜態さらしているのも印象的。寄せ集めの軽歩兵部隊だから、個々の要員の練度とか、関係ないんだろうけど。ブランデンブルク部隊だの、SS猟兵部隊ミッテなんかが編入されている割には、という感じが。攻撃を受けて敗走してみたり、撤退戦で二個連隊が包囲陣の外にはじき出されたり。練度の高そうな連中が、包囲の外に出ているのは、単なる配置の関係か、意図的にルートを選んだのか。ベルリン包囲戦の時点で、第27降下猟兵連隊残余のほかに、どの程度支援部隊がいたのやら。
 ケーニヒス・ティーガーの打たれ強さも、印象深い。何度も両翼包囲を食らう鉄火場の中で、最後まで、複数の車両が生き残っていたんだよなあ。12両で戦闘を初めて、一両、一両とやられていくが、5/1の時点でも7両残存という。


 末期戦ぶりが、いかんなく表現されているのが、第一ヒトラー・ユーゲント戦車撃滅旅団。下手すると中学生くらいの少年兵が、パンツァーファウスト抱えて、圧倒的なソ連軍と戦う。そりゃ、普通に壊滅するよなあ。年端もいかない子供を戦闘に動員することを嫌ったヴァイトリング大将には、まだしも理性が残っていた感じ。
 国民突撃兵も、数合わせ、武器足りないとか、もう、涙がちょちょぎれる状況。
 鎧袖一触にされてしまった参謀総長護衛中隊を中心に、雑多な部隊を編合した戦闘団「モルトケ」。大隊規模の部隊で、ソ連軍を食い止めろといわれても、そりゃ、無理だよなあ。クンマースドルフ実験場にあった戦車をかき集めているから、なんか、戦車の種類だけは豊富だけど。それが、悲惨さを引き立てる感じ。最後、どうなったんだろう。


 ベルリンの南部には、いろいろと軍事中枢施設があったんだな。陸軍総司令部があったツォッセン、弾薬廠があったユーターボーク、試験場があったクンマースドルフなどなど。今に残る建物とかあるのだろうか。あるいは、現在も使われているのだろうか。グーグルマップでは、いまいち分からない。禁じられた町 ヴュンスドルフの地下基地、マイバッハ Iとツェッペリンを見ると、それなりの遺構が残っている感じだけど。
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