『歴史群像』2018/2号

歴史群像 2018年 02 月号 [雑誌]

歴史群像 2018年 02 月号 [雑誌]

 やっと、最後の一冊。これで、全部目を通したぶんは処理完了。積んでる分が、まだ、たくさんあるけど。
 この種の雑誌は、読んでから時間がたつと、事実上読み直しになるので、「早く処理しましょう」が正解なんだな。

片渕須直「ついに解決!名戦闘機の謎:零戦の「灰色」は白と黒だけでできていた」

 へえ。零戦の機体色の顔料は、黒と白の顔料しか使われていない。割とプレーンな灰色なんだな。赤っぽく見えるのは、塗膜の樹脂が変色するから。樹脂のベンジルセルロースが黄変して、赤っぽく見えるようになる。
 プラモデルで塗るときは、黒と白を混ぜて、それにちょこっと黄色か赤を混ぜれば良いのかな。しかし、この、塗膜の変色って、どのくらいの時間で起きるものなのだろうか。使っている間に変色するのかな。

有坂純「縦横無尽!世界戦史:会戦Vol.1」

 勝っても負けても大損害を受ける、鉄火場な会戦を実施するには、相応の兵站と指揮統制能力が必要であった。また、だいたい、普通の国家では徴集された歩兵は戦意が低く、崩れやすかった。その点で、市民から組織されたギリシア式の軍隊による正面からの戦いは、独特の性質を持つという。そのような、アマチュアを過酷な正面決戦に駆り立てることを可能にしたのが、市民間、有力者間、都市間など、あちこちに張り巡らされた「名誉」をめぐる競争だったという学説が、むちゃくちゃ興味深い。日本人の視点からすれば、第二次世界大戦中、日本軍兵士を自殺攻撃に駆り立てたメカニズムに通じるような感じもするな。
 ハンソンやキーガンの粗雑な西洋中心主義が、21世紀になっても可能であったというあたりが、軍事史研究の、史学一般からのガラパゴスぶりを示しているように見える。

古峰文三「最初の零戦隊「十二空」戦記」

 日中戦争の序盤、上海の近接航空支援や重慶爆撃で活躍した第十二航空隊の編成から解隊まで。太平洋戦争での戦闘機運用の準備の場になった、と。防空戦闘、単座戦闘機の長距離侵攻、パイロットの実戦経験などなど。


 上海近辺では、飛行隊長クラスの要員を陸軍の師団司令部に送り込み、臨機の目標を攻撃する態勢を整える、この時代には先進的なシステムを構築した。あるいは、航空機輸送艦の構想。
 南京陥落後には、ソ連の指導を受けて、SB2爆撃機による基地襲撃に苦しんだ。しかし、九六式艦戦は、速度が遅く、とても対応できなかった。また、陸上攻撃機を護衛するだけの航続距離がなく、この点でも不足だった。そこで、ハインケルHe112とセバスキー2PAの購入を試みる。しかし、導入が遅れ、零戦の前倒し導入が行われる。最初の40機は、艦上戦闘機としての試験を省略して、局地戦闘機として投入された。
 前進基地の攻撃など、攻撃的な作戦で反撃が下火になると、今度は重慶への制空作戦に投入されることになる。しかし、数百キロの長距離侵攻は、前例のない冒険であった。零戦は、滞空時間が長くとってあったが、それは空母上空の哨戒のためで、長距離侵攻でどの程度飛べるかは未知数であった。また、目的地に飛んで帰ってくる航法も、大きな課題で、単座機では、航法が非常に難しかった。九七式司偵に誘導させて、帰路は艦爆・艦攻によって収容ラインを形成するといった工夫が必要であった。このときの戦闘が、優速重武装を活かした一撃離脱戦法だったというのが興味深い。あとは、シートが寄りかかれるようなものではなく、ものすごく疲れた話とか。
 さらに、1941年に入ると、戦闘機の搭乗員に実戦経験を積ませるための組織に改編され、疲労をためないような形で、訓練と出撃を繰り返すパターンになった。ここでの実戦経験が、第二次世界大戦での長距離侵攻作戦を何度も成功させる基礎になった。

松代守弘「戦争と拳銃」

 ホイールロック拳銃の出現とともに、騎兵の兵器としての拳銃が出現、17-8世紀には、騎兵の種武装となる。しかし、拳銃だけでは歩兵の隊列が崩せず、拳銃とサーベル突撃の併用が行われるようになる。1836年に、連発式のコルト・パターソン・リボルバーが登場。アメリカでは、騎兵の装備の主流になる。
 南北戦争では、南軍の挺身騎兵部隊が、拳銃をメインウェポンとして、ヒットアンドアウェイを繰り返し、これが西部やメキシコの無法者たちに広がり、派手な活躍を生む。これは、革命戦争後半になると、機関銃と鉄条網の陣地によって、封じ込められてしまう。


 第一次大戦のヨーロッパでは、折れ曲がった塹壕の中で、近接戦が行われ、自動拳銃と手榴弾が主武装となった。この時代の自動拳銃は、ストックをつければそれなりの射程を発揮できただろうし、セミオートでボルトアクション小銃相手に手数で圧倒できただろうから、意外とありだったかもなあ。
 その立場も、短機関銃セミオートマチック小銃、突撃銃の出現で崩れ去る。しかし、ベトナム戦争の地下壕潜入や屋内などでの対テロ作戦では、むしろ威力の適切さを買われて、重要視されている。
 また、最後の自衛用火器としての需要は存在し続けている、と。



古峰文三「日の丸の翼:海軍セバスキー陸上複座戦闘機」

 日中戦争の初期、渡洋爆撃の陸攻の損害と基地襲撃の高速爆撃機に苦しみ、長距離戦闘機と高速局地戦闘機が必要になった。前者の需要のために、アメリカのセバスキー社から2PA複座戦闘機を導入。量産契約を失って苦しんでいたセバスキー社は、日本側の要求に応える姿勢を見せたが、一方で世論に配慮して武装は省いていた。これに、武装を取り付ける頃には、大陸に基地が確保されて、必要が薄れ、非武装で偵察や編隊誘導などに使われた。速度は、戦場での必要に充分応える程度だった、と。
 結局、零戦の登場で、武装を搭載されることなく、偵察機として運用されて終わった。

白石光「銘艦ヒストリア:1923型水雷艇

 戦間期ヴェルサイユ条約の厳しい規制の下で建造された小型駆逐艦としての水雷艇保有が認められていた水雷艇の代艦として、ドイツの軍艦建造技術の継承目的と実用性重視のもと、建造され、大戦中に活躍、同型艦は全て戦没した。
 こういう、ちっこい戦闘艦、好き。

香川元太郎「伊予松山城

 本壇が高く聳え立って、強そう。かっこいい。
 しかし、熊本城を見慣れていると、山の上部だけしか城郭化されてない感じで物足りないなあ。大阪の陣のような砲撃が主体になってくると、縦深不足を露呈しそうな。

山崎雅弘「アヘン戦争

 道光帝の腰の定まらなさが、印象的。北京に危険が及ぶと、すぐに腰が砕ける。そのくせ、脅威が遠のくと強硬主義になるという。一貫性ないなあ。
 イギリス側の軍事技術が、実戦の中で、どのような優位をもたらしたのか。あるいは、清側の戦力がどのようなものだったかなどの情報がもっと欲しかったかな。

長南政義「騎兵指揮官秋山好古

 組織者・教育者としての秋山好古って感じなのかな。騎兵のドクトリン策定やそれに基づく組織編制を一手に引き受けた感じだな。フランスに留学して、騎兵に関してはフランス式というのも興味深いな。
 日清、日露での実戦経験と指揮官としての能力。
 末尾で、騎兵操典で乗馬戦による攻撃が主眼としたことが、秋山の限界と指摘するが、ここはどうだろう。組織防衛・組織の長としては、表芸を堂々と掲げるのは当然の行動と思うが。操典の綱領に、状況によっては下馬戦闘しろと書いてあるあたりで、それほど固執してなかったのではなかろうか。乗馬戦の看板を下ろしたら、騎兵要るの?という意見は当然出てくるだろうし。

橋場日月「作戦分析大坂夏の陣

 大阪平野西部の河川を「外堀」とする「大阪平野城塞化構想」のもとに、緒戦を戦う。しかし、一角を破られて撤退。その後、大野治房四天王寺近辺の地形を利用した防衛ラインを構築し、敵を消耗させる構想を立てたが、それを理解しない毛利吉政や真田信繁が突出し、破綻した。
 興味深いけど、この見方に、どの程度妥当性があるのだろうか。

白石光「太平洋戦争のアメリ軽巡洋艦

 最上型に対抗した大型軽巡のブルックリン級、クリーブランド級と、防空巡洋艦アトランタ級がメインか。アトランタ級駆逐艦部隊の指揮と防空艦を兼ねる、欲張った構想の船だった。結局、艦形が小型過ぎて、近接防空火器の増備が困難であった。より大型の艦と比べると汎用性に欠けるということで、不遇だった模様。割と好きなタイプだけど。

久野潤「インタビュー:川上秀一:空母『瑞鶴』の誕生から最後まで零戦を担当した戦闘機整備員」

 真珠湾攻撃からレイテ沖の囮作戦まで、一貫して生き延びた幸運艦「瑞鶴」の戦闘機を整備し続けた人。それだけ、作戦の情報とかが、けっこう入ってくるのだろうな。零戦52型が、速度・武装が強化されて、評判が良かったとか。
 マリアナ海戦では、発進した攻撃機がほとんども戻ってこず、空母が三隻撃沈で敗戦を意識したと。そして、レイテの囮作戦で、艦を喪失。
 その後は、地上部隊の教官や隊附きを転々として終戦と。

西股総生「戦国期城郭論:馬出しとは何か」

 うーん、縄張り図による研究に限界を感じるような。縄張り図をみても、紹介されている馬出しが、反撃しやすい位置にあるとも思えないし。どうもなあ。
 武田領国を中心とした築城ドクトリンの存在は興味深いが、それって、文献などでどの程度明らかにできるのだろうか。