徳田八郎衛『間に合わなかった兵器:もう一つの第二次世界大戦』

間に合わなかった兵器―もう一つの第二次世界大戦 (光人社NF文庫)

間に合わなかった兵器―もう一つの第二次世界大戦 (光人社NF文庫)

 兵器開発の側面から、第二次世界大戦を考える本。なのだが、これ、現在の研究水準で、同じ問題を調査したら、どういう議論になるのだろうか。
 あと、ちょっとレーダーが進歩しようが、歩兵用対戦車火器が充実しようと、生産能力の格差はいかんともしがたく、あんまり大勢に影響したとも思えないのがなあ。米軍の日本攻撃の速度が落ちると、今度はソ連の侵攻があるわけだし…
 海軍の絶望的な技術センスの欠如も印象的だな。「闇夜に提灯」論で、電子兵器の開発が遅れる。情報とか、暗号も、陸軍に比べてダメダメだったみたいだし、もしかして海軍、かなり脳筋なんじゃ。まあ、組織の規模が全然違うわけだけど。陸軍も、システムインテグレーターの欠如を指摘されているが。


 あとがきに、防衛大学校の学生が、大戦中の日本の技術を高く見積もっていたという記述があるが、自衛隊歴史認識って、昔から相当アレだったのだろうか。正直、田母神あたりから、自衛隊内の歴史認識に疑念を覚えているのだが。人文社会学的な知識が、全然ダメダメだったりするのだろうか。ネット上で変なことを書いてる元自衛官が目について、どうも、信頼感が低落傾向。大戦中の日本が各種技術で相当に劣っていたのは、普通に常識だと思っていたが…


 全体は6章構成。第1章が歩兵用対戦車火器の導入ができなかったこと。第2-3章は日本軍のレーダー開発について。陸海軍で分けて書かれている。第4章はドイツ軍のジェット戦闘機の開発遅れの問題。第5章はソ連の工場移転の成功と生産力で圧倒した成果について。第6章が総括。開発に関わった人たちから直接話を聞いているレーダー関係がやはり一番面白い。


 第1章は対戦車兵器の話。陸軍における自動車や戦車への理解のなさが、導入の遅れをもたらした。また、軽量にこだわったことが、戦車の装甲や火力の強化を阻んだ。
 十分な数の歩兵用対戦車ロケット弾が装備されていたら、戦局が変わったかもしれないと指摘するが、実際のところ、どうだろう。貧弱な日本の輸送能力では、弾体そのものがかさばるロケット弾は、他の弾薬の不足を引き起こしたのではないだろうか。
 だいたい、戦車ってのは対戦車砲で撃破するもので、47ミリ対戦車砲がかろうじてまにあっているし、75ミリ山砲を成形炸薬弾で対戦車兵器として利用可能にしているのだか、全然ダメってほどじゃないような。歩兵に、悲惨な近接対戦車戦闘をやらせたのは問題と言え。つーか、75ミリ以上の口径の成形炸薬弾による戦果はどの程度のものだったのだろうか。
 対戦車小話あれこれ~ライフルグレネードは微妙? シュルツェンの効能、ソ連とパンツァーファウストとRPG - Togetterなんかを読むと、37ミリ砲でも、近接した戦闘では十分役に立ちそうなんだけど、徹甲弾の材質が悪かったのか、初速が足りないのか。パンター戦車でも、車体側面下部はシュルツェンがないと、対戦車ライフルで撃ち抜かれたそうだが。
 まあ、歩兵用対戦車ロケットに関しては、必死さが足りない感じはあるよなあ。


 続いては、レーダーの話。なんというか、陸軍が比較的焦点を絞った開発を行っていたのに対して、海軍がぼんやりとした開発体制だったという印象。海軍では、用兵側のニーズ発見が遅れた結果、逆探にしても、レーダーにしても、研究開発が遅れ、さらに、必要なところに行き渡らなかった。
 陸軍の電波警戒機甲がおもしろいな。ワンワン方式と呼ばれる、電波への航空機の干渉を検出する手法。その代わり、普通のレーダー開発が二年遅れたという。敵味方の区別がつかないというのは、かなりダメな感じだけど。そこから、メートル波の対空捜索レーダーへ。割とまともに展開したが、乏しいリソースを総花的に使ってしまった問題がある、と。
 要素技術というか、品質や量産技術の貧弱さが、日本の電波兵器の能力発揮を阻害した側面は大きそうだなあ。陸軍の警戒レーダーには、大学・高専出の予備仕官を貼り付けるとか、海軍では、試作に関わった技手が張り付いていないとまともに動かなかったとか。あるいは、日本軍の機上無線電話が、雑音に悩ませられた原因が、アースの取り方など艤装に問題があったのだが、それを是非とも改良しようとする熱意が用兵側から出なかった問題。あるいは、要地防空のために、無線電話や探知装置などを結合するシステム構築の発想の欠如の問題などが指摘される。


 第4章は、ドイツのジェット戦闘機の話。先行していたハインケルのジェット機が、政治的要因から、採用されず、必要なときに間に合わなかったというストーリー。なんだが、実は、早くから実戦投入されていても、それでドイツが戦局を覆せたとは思えないなあ。そもそも、42年あたりから、パイロット養成が破綻している。
 むしろ、ジェット戦闘機という新奇な技術にリソースをつぎ込んだ結果、Fw-190戦闘機のエンジン供給に問題を引き起こしていたりするわけで、正攻法から逃げた感じが強いと思うのだが。


 第5章は、間に合わせたソ連。様々な軍需工業をウラル山脈の東に待避させ、ドイツ軍を圧倒する火砲、戦車、航空機生産を実現。米英からの民生品援助で、軍需に集中できたとは言え、すごい実績だよなあ。それを活かす優れたドクトリンもあったわけだが。
 そういえば、各種兵器の原料となった製鉄はどこでやってたのだろう。


 最後は、まとめ。戦局を回天しうる新兵器はあっただろうかという問いだが、結局は、なかったんじゃないかなあ。いろいろ開発中のものが間に合っても、アメリカのほうが選りすぐれたものを、大量に投入できたわけだし。
 結局、日本の材料や生産における技術の劣位は、大きかった。その上で、システムインテグレートの発想もなかったわけだから、彼我の技術、思想ともに、大きく劣っていたとしか言い様がない。ピアノ線やばね鋼の格差なんかは、割と有名な話だと思うけど。


 以下、メモ:

 碇義朗氏は『海軍空技廠』において、バネを例として日本の基礎技術、とくに材質の弱さを丹念に実証しているが、航空機だけでなく、歩兵の唯一の強力な武器の機銃の場合も、バネの不備は深刻である。現役兵として招集され九九式軽機関銃を受け持った佐野浩一氏は、訓練でもソ連軍との実戦でも一度もこれを撃たぬままで、ソ連軍の重火器を分捕って逆用したと『日本の戦史』で述べている。その前身である九六式についても、これはもともと中国軍から鹵獲したチェコスロバキア製ZB26型を真似たものだが、鹵獲品よりも重いし、誰もがとっさに撃てる機関銃ではなく、満足に弾が出てくれない「利かん銃」であり、撃っている時間よりも故障排除の時間のほうが長かったと絶望的な所見を述べている。それらの故障原因の大半はバネであった。
 ところが、九六式軽機の審査や九九式軽機の開発に携わった銅金義一少将は、「絶対無故障兵器」をつくるために箱弾倉式の九九式軽機が制定され、また九九式軽機は薄肉銃身の空冷式としては「世界に比類のないもの」で、「三万発の連続発射に無故障」であったので用兵側を驚嘆させ、米軍が南方でこれを使用してみて「その優秀性に驚嘆」したと、本音で書けるはずの戦後の記録、『陸戦兵器総覧』に記している。箱弾倉式に変えただけで九六式軽機が「絶対無故障兵器」といえるはずがないし、自賛づくめの九九式軽機も、「三万発の連続発射に無故障」は事実であるならば、試作品と量産品との格差が非常に大きかったといえよう。p.276-7

 これ、マジ? ネット上の情報では、悪い話は出ていないが…

 一九三六年成立の「自動車製造事業法」で良質な外車から保護を受けた国産車も、バネだけでなくすべての部品が貧弱で兵を泣かせた。たとえばトヨタでは、鍛造設備が不足のため鍛造すべきクランクシャフト素材を鋳鉄で造ったので折れやすかった(鋳造技術が進んだ今日では、効率良く製造できる鋳鉄が多用されている)。日産は手回しよく開戦前に鍛造用の型材を大量に輸入したものの、米国の下位自動車メーカーの経営破綻に乗じて製造権を買収したのが祟り、セミキャブオーバーエンジンのトラブルの多さに泣かされる。p.277-8

 ひえー、このレベルの素材で輸入品だったのか。それで、供給元と戦争とか…

 防衛技術の研究開発、調査、そして教育に携わってきた一介の技術者が、技術戦史という戦史分野の本を書いてみたいという、大それたことを考えたのには四つの理由がある。その一つは、防衛大学校で防衛工学を講じ、また、多くの方々の御厚意により、いくつかの大学で技術が国際政治におよぼした影響や技術安全保障について教壇に立たせていただいた時に受けた衝撃である。太平洋戦争についての学生諸君の理解は、噂に聞くほど浅いものではなかったが、日本は生産力、ひいては兵器の量のちがいで屈服したのであって、質は決して劣っていなかったと信じているものが少なくなかった。
 比較的軍事に興味を持っている学生の方が、「世界に冠たる帝国海軍の技術」について強い信仰を持つ傾向もみられた。「自動車王国日本」の兵隊さんが、国産車を嫌い、分捕ったり民間から徴発された「アメ車」が配備されると涙を流して喜んだ話や、「電子立国日本」のレーダーがなかなか実用化されないために海軍が太平洋から追い払われ、日本の空が米軍機の思うままに制圧される話は、彼らを驚かせたが、もっと驚いたのは私の方であった。「レーダーギャップ」を知っていても、航空機搭載の魚雷攻撃で日本が先行したように、アイデアだけは日本が先行していたと信じる者が少なくない。厳密な統計は採らなかったが、提出された感想文を見る限り、戦後の経済成長の基盤となった日本の技術は、戦前から世界一であったと思っていたものが三分の一ないしは半数近くもいたのである。p.283-4

 マジか。割と普通に技術格差が嘆かれていたと思うが…