我が家壊滅

今回の震災ではマスコミ(特にテレビ)の情報提供能力の低さと公的機関からネット上に流される情報の充実ぶりが、際立った。
正直言って、テレビは報道メディアとしては終わってるんかなかろうか。

どの家もとても住めたものではない。建て直すにしても冬までには到底間に合わない。除雪車も入れないだろうから、この冬は集落を見捨てるしかない。そうなれば、今なんとか形を保っている家も雪に押しつぶされる。
一晩で1m積もることもある豪雪地帯。この地方の人たちは「雪下ろし」ではなく「雪掘り」と言う。一階の屋根や庇は雪より下になるため、雪を下ろすというよりは雪を掘り下げて家と切り離すという感じなのだ。
この切り離しがうまくいかないと、雪解けのとき、庇や軒が雪に引っ張られて壊れる。我が家も何度か経験しているが、雪の力はものすごい。
それをみんな知っているから、今から完全に諦めているのだ。

今22戸ある我が集落は、おそらく消えてしまう。家を建て直すだけの資金がある人はほとんどいないだろう。老人が多いから、30年ローンなんていう話は現実味がない。あの世でローンを払い続けるわけにはいかないもの。
老人たちは、残った人生を、生まれ育った自然の中で静かに過ごせることが幸せだった。狭い畑に自分たちが食べるだけの野菜を作り、細かく区切られた棚田で少し売れる程度の米を作り、ときどき訪ねてくる孫の顔を見て暮らす。
「今がいちばん幸せだよ」
向かいのおばあさんも、漬け物を持って我が家に遊びに来るたびにそう言っていた。
その幸せが一瞬のうちに奪われてしまった。
冬以外はマイペースで畑仕事をし、春には山菜を採り、野鳥や蛙の声を聞きながら過ごしていた日々。その幸福と、故郷で自力で生きているという自負心・自尊心が失われる。これからは、親族の家に身を寄せて肩身の狭い暮らしを始めなければならない。
その無念さ、苦しみ、空虚感、脱力感は、はかりしれない。

そういう村が、川口町だけで数十はあるだろう。もちろん川口町だけでなく、周辺にもたくさんある。
山古志村から十日町あたりにかけて、孤立集落となった後、復興しないまま消滅する集落がいくつも出てきそうだ。老人パワーで守り続けていた美しい棚田の光景が、一気に消えていくのだろうか

山間部の過疎地では廃村がたくさん出るのだろう。
人がすんできた歴史を考えるなら、こういう集落はできるだけ生き残って欲しいのだが。