「寛容度ゼロ」生徒指導(朝日新聞06年6月27日付)

ゼロトレランス方式の生徒指導についての特集。明石要一、加藤十八、義家弘介の3人が寄稿。


国立教育政策研究所の報告の主査を務めた明石要一は、ゼロトレランスとは「出席停止の有効活用」であり、「排除」ではなく「とことん面倒をみる」ことだと主張する。
「問題のある子を教室から隔離し、実質的に放置している」状況が「排除」であり、出席停止にしてきちんと指導したほうがいいという主張は、まあ、説得力がある。
ただ、結局、だれが「とことん面倒をみる」のか? そこのところが怪しく感じる。
この文章では担任や教務主事が中心になって指導すると想定しているようだが、オーバーワーク状態の最近の教師に、責任をもって指導することができるのだろうか。
仕事を増やす以上、その分の人員と資金を用意しないと、結局のところ排除の状況は変わらないまま、処分歴がつくだけの結果になるのではないか。
ちなみに、明石要一氏のプロフィール教育委員会だの、審議会だのを歴任していて、御用学者っぽい経歴だなと警戒してしまうのだが。


加藤十八の文章。
端的に言ってしまえば、「先進国」でうまく行っているから日本でも導入しよう。明治以来の学者のやり方の典型。
海外の制度を、ローカライズせずに導入する方法では、問題の解決は期待できない。

教師と学校管理や指導担当教職員の分業は徹底しており、教師が中途半端に子どもを指導するような事態は起こらない。一般教師はしつけ的な指導はしっかり行うが、問題生徒などの指導は、管理職や専門家の仕事なのだ。

アメリカでは、このようなシステムで学校が運営されているそうだ。
教師間の分業(それどころか教師間の相互支援)がない日本で、いきなりゼロトレランス方式を導入しても、うまく機能しないのでは。それよりもまず、生徒指導で問題があるなら、生徒指導のための人員を増員することが先だろう。
まあ、この人についてググッて見るとバリバリの保守主義者らしいので、権威主義的なやり方が性に合っているのだろう。


義家弘介氏。熱い。ただ、その理想主義は立派だが、何万人もいる、ピンキリの教師全部にそれを期待するのは無理だろう。


ちなみにゼロトレランス方式の導入を提唱した、国立教育政策研究所の報告書。
「生徒指導体制の在り方についての調査研究」報告書:規範意識の醸成を目指して
なんか妙な調査研究報告書。現状分析がほとんどなくて、「〜の在り方」なんて文章ばっかりが並んでいる。
確かに調査票を送ったりしているようだが、調査研究は名ばかりで、最初から結論ありきだったのでは? なんかざっと読んでマニュアルみたいだと思った。

本調査研究が焦点をおいている「児童生徒の規範意識の醸成」に関しては、全ての学校において、全ての教職員が、指導がぶれることなく、「『当たり前にやるべきこと』を「当たり前のこと』として徹底して実施する」必要があるものである。

そもそも、それが一番難しいことだと思うけど…
人間がやることにはぶれがあるものだし、個別の事情を突き詰めていくと「当たり前のこと」が当たり前でなくなったりもする。


さらに、この研究の発端になったのが、以下の「児童生徒の問題行動対策重点プログラム」。
長崎の小学生が同級生を殺害した事件をうけてのものらしい。
最初から、文部科学省は、ゼロトレランス方式を導入したいらしいな。
児童生徒の問題行動対策重点プログラム(最終まとめ)の概要
児童生徒の問題行動対策重点プログラム(中間まとめ)


以下メモ:
ゼロ・トレランス方式(Wikipedia)
『ゼロ・トレランス』から派生する問題
守るためのゼロ・トレランス/向上するためのゼロ・トレランス
“ヤンキー先生”義家弘介、文部科学省の「ゼロトレランス」導入構想を批判