朝鮮半島と琉球諸島における銭貨流通と出土銭

http://hmuseum.doshisha.ac.jp/html/research/report/report2000/senka/senka.pdf
古銭について検索していて見つけたサイト。同志社大学の歴史資料館の紀要に掲載されたものらしい。
朝鮮半島琉球列島の出土貨幣を概観し、その特徴を考察している。朝鮮半島に関しては大まかな歴史の概観、琉球列島については貨幣の流通経路・鳩目銭の性格についての考察に紙面が割かれている。
興味深いと感じたのは、朝鮮半島で出土する五銖銭と明刀銭のあり方の大きな違い。明刀銭が祭器・奢侈品としての性格を強く感じるに対し、五銖銭は西海岸から多く出土すると指摘されるように、商品流通とより関係が深いように見える。
少なくとも、

たとえば細竹里遺跡では住居址付近の土坑内から2500枚余りの明刀銭が50枚ずつ束ねた状態で発見されており、田村晃一氏は後の流通のために一時的に埋蔵したものと位置づけている。
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は、ちょっと無理な解釈だと思う。後での使用は考えていなかったのではないだろうか。


琉球の鳩目銭もおもしろい。

 琉球王朝では銭の鋳造は行われたが、実態的な流通にいたったかどうかは未だ明らかでなく、むしろ、考古学的検討に資するべきものとしては、御嶽から出土する鳩目銭が注目される。琉球王朝の祭場である斎場御嶽から金の勾玉とともに出土した金の鳩目銭の存在が、実物の鳩目銭そのものの価値に基づいていると考えられるならば、琉球王の周辺においてさえ、悪銭である鳩目銭が重用されていたことが想定されるのである。
 その他にも、御嶽の地鎮に用いられた鳩目銭が知られており、悪銭とされてきた鳩目銭が琉球王朝における社会や習俗のなかで、重要な役割を担っていたことが近年の考古学的調査によって明らかになってきた。本論でふれた諸例も、正式な報告をまたなければ詳論できないが、今後の検討課題が深まってきたことに意義を見出せよう。
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 現在も沖縄地方で行われているウチカビィという紙銭がある。これは薄い紙に鳩目銭の形をした印形を押捺したもので、葬祭のおりに一般に用いられるものである。この資料に明らかなように、銭という対象は、考古学、歴史学民俗学の複数の研究課題を内包しており、銭の考究が複眼的な視座から行われるべきであることを示している。
p.7

ここには、まさに単純な価値を表現するものではない、貨幣の不思議さが現れている。
賽銭やトレビの泉へ投げる貨幣は、まさに異界と行き来するものである。
中世前期の贖罪金は、単純な補償ではなく、貨幣のマジカルな力によって、世界を修復するものであったのではないか。現在の賠償金には、そのような機能は亡くなっているが、そのような力があるからこそ、人の命と引き換えにできたのではないか。
現在のお金にはない、そのような不思議さが面白いと思った。