戸部良一ほか『失敗の本質』

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

 なんか急に読み返したくなったので、本棚から引っ張り出してみた。名著だけのことはある。
 太平洋戦争の日本の戦いのうち、ノモンハン・ミッドウェイ・ガダルカナルインパール・レイテという6つの負け戦を素材に、日本軍の特質を、組織論の観点から分析したもの。
 前に読んだときは前半に興味が集中していたが、今回は後半が面白かった。
 組織論の観点からは、本書のような分析が可能で、例えば日本軍が学習を軽視したという指摘は、基本的には正しいと思われる。属人的な組織の統合が、辻のような人物の跳梁を許し、牟田口の暴走を阻止できなかった。その点も、その通り。しかし、人間集団の行動というのは、もっと環境に依存するのではないだろうか。
 まず、日本軍が海軍と陸軍に分裂し、統合できなかったのに対し、米軍は統合作戦が実現したという指摘については、組織の問題とともに、国制の問題と地政学的な問題も重要ではないか。統合作戦を実現した英米軍は、それぞれ敵対的な有力国家と海で隔てられていて、外征を行う場合は陸軍と海軍の協力を必然とする。逆に大陸国であるドイツやソ連では、統合作戦に関する組織は形成されなかったが、陸軍が圧倒的な重要性を持ち、統合作戦に関して問題を顕在化させなかった。それに対し、日本の場合、地理的には太平洋と大陸、仮想的もロシア・アメリカとちょうど同じくらいの重要性と対象地域の分裂があり、双方の力関係が近く、統合がやりにくかったこと。
 また、国制に関しても、明治には「維新の元勲」が政治的主導権を握り、統帥を政治主導の下に置いていたのに対し、大戦中は統帥権干犯問題から政治介入が行いにくく、一元的な国家指導が行いにくかった。。また、天皇のスタイルも、明治天皇の自身が政治的中枢を握るスタイルから、昭和天皇立憲君主的なスタイルへの転換している。国家統合の核がなくなっていたと指摘できる。場合によっては、昭和天皇がクーデタによって、退位していた可能性もあった。これに対し、アメリカやイギリスでは、選挙による政権という強力な正統性が存在し、強力な統合が可能であった。
このような、国制・正統性の強度の差が、組織の分裂・機能不全を深刻化させたのではないか。
 第二に、学習の問題に関しては、日本の国力の脆弱さが決定的ではなかったか。日本軍内でも、上記の『石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」』で指摘されているように、国力について検討されている。第一次世界大戦の戦訓も、それなりに摂取されたようだ。しかし、まじめに検討すれば、最初から勝ち目なしということになり、そもそも検討するのがバカバカしい。日本は技術・生産能力が低く、それによって火力中心の陸戦に対処できないことが第一次世界大戦の時点で明らかであり、海軍力の劣勢も軍縮条約によって可視化され、固定化された。これが、白兵戦主義・艦隊決戦主義を強化し、戦略オプションを狭めたのではないか。当時の日本の生産能力では、主力艦隊を整備すれば、海上輸送に関連する戦力を整備する余力はなく、陸軍も近代的な火力・機動力を整備する能力がなかったわけで。
 日本軍の組織が退廃し、信賞必罰もまともにできなかった。それが参謀の下克上を許し、無謀な作戦を引き起こしたのは確かなのだが。
 方法論に関しては、アメリカ軍との対比が多用されるが、平時のアメリカ軍の人事体系などの情報がなければ、日本軍との組織論的な比較は不完全なのではないか。また、アメリカだけでなく、イギリスやドイツとの比較も視野に入ってくるのではないだろうか。国制の安定では、英米>日独ソ>仏伊。生産の合理化・標準化については、米>英独ソ>日仏伊という条件になる。これらの条件も勘案して、比較研究すれば、より認識が深化するのではないだろうか。
以下、メモ:

どんな計画にも理論がなければならない。理論と思想にもとづかないプランや作戦は、女性のヒステリー声と同じく、多少の空気の振動以外には、具体的な効果を与えることはできない。p.238

日本軍はまた、余裕のない組織であった。走り続けて、大東亜戦争に入ってからは客観的にじっくり自己を見つめる余裕がなかったのかもしれない。物的資源と人的資源、すべてに余裕がなかった。たとえば、日本海軍の航空機の搭乗員は一直制であとがなく、たえず一本勝負を強いられてきた。米海軍は、第一グループが艦上勤務、第二グループが基地での訓練、第三グループは休暇という三直制を採用できた。加えて、自動車免許が常識の国だから、アマチュアパイロットやエンジン整備の知識を有する潜在的予備軍も多かったのである。ガダルカナル戦では、海兵隊員が戦争のあい間にテニスをするのを見て辻政信は驚いたといわれている。彼らの戦い方には、なにか余裕があった。p.285

黄金期のアメリカと当時の日本の国力の差が如実に現れているよなあ…

下士官・兵の強かった日本軍は民主主義の旗の下に、その長所を最大限に生かすような形で自己否定的に再生したと考えられる。事実、戦後の日本経済の奇跡を担ったのは復員将兵を中心とする世代であり、彼らが「天皇戦士」から「産業戦士」への自己否定的転身の過程で日本的経営システムを作り上げたという指摘もある(中村忠一『戦後民主主義経営学』)p.397