- 作者: 管賀江留郎
- 出版社/メーカー: 築地書館
- 発売日: 2007/10/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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それぞれの殺人事件は強烈で、それが現在に特有のものであると勘違いするのも分かる。しかし、すこし歴史を紐解いてみると、同様に強烈な事件が過去にも起きている。それを考えずに犯罪や防犯について語るのは大きな間違いであると思う。人が人を殺す理由など、社会環境がどう変ろうとも、あまり変らないものなのかも知れない。
また、本書を読んでいて、「戦前の社会」は異文化だったのだなと感じた。その意味では、戦前・戦中・戦後のうち、断絶面を設定するのは戦前と戦中の間だろう。戦後のGHQ改革の意義はかなり小さくなると思う。戦時中の総力戦体制の整備の延長線上にあると考えられる。少なくとも戦中と戦後では、あまり断絶がない、むしろ「戦後」とは総力戦体制の延長と捉えた方がいいのではないか。で、それが終わったのが、やっと90年代に入ってから。などと本書から離れて、いろいろつらつら考えたりした。
第9章の「戦前は体罰禁止の時代」が、その意味では興味深い。「体罰」は戦前からの習慣だと思っていたが、戦後に普及したものだそうで、びっくらこいた。こういう歴史を前提とすると、教室の「統治」はどのように変遷したのかに興味が広がる。教師の威信は低かったようだし。
第16章の「戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代」も、旧制高校生のすさまじいDQNぶりに驚く。いや、こういう連中がのさばっていては、品行方正(笑)な戦後世代がなかなか勝てないわ。あと、「ストーム」なる行動の淵源がどこにあるのか少し気になる。ヨーロッパの昔の大学あたりがモデルなのか、それとも若者組など伝統的な「制御された暴力」の近代バージョンなのか。「制御された暴力」をどこまで容認するべきか、そんなことも考える。
同じ章の、一高と三高の対抗試合のくだりが笑った。
前日には相手チームの宿の前で夜通し太鼓を叩き高歌放吟して寝かせない工作もやっていたりと、勝つためならなんでもありです。(p.264)
現在、韓国人が国際試合でやっているのを嘲笑っているが、80年程前には日本人もやっていたのな…
226事件のニート的解釈が素晴らしい第11章「戦前はニートの時代」や第12章「戦前は女学生最強の時代」も面白い。