塩谷格『サツマイモの遍歴:野生種から近代品種まで』

サツマイモの遍歴―野性種から近代品種まで

サツマイモの遍歴―野性種から近代品種まで

 育種学者による書物。サツマイモの近縁野生種や栽培化についての追及、病気への抵抗性を持つ品種の追求、近代的育種の歴史などについて、遺伝学・育種学の観点からまとめられている。。育種学や遺伝に関しての記述が容赦なくでてくる。難しかった。当面の興味とも外れるし… 少なくとも、私の遺伝についての知識が錆付きまくっているのは良く分かった。まあ、遺伝についての知識そのものが、「理科1」レベルなのだが。
 本書で、私の興味と合致するのは、サツマイモの近縁野生種を検討した第二章「サツマイモをとりまく野生植物」と、在来品種について記した第八章「在来品種がたどった道」。また、第七章「サツマイモの花」では、沖縄の在来品種には花をつけ、種を結ぶものが多く、これらの交配から近代育種の系譜がはじまっているとの情報も興味深い。
 サツマイモの栽培化については、あまり研究が進んでいない様子。おそらく、考古学・民族学的な証拠は、ほとんど期待できないだろう。本書の記述を見る限り、近縁野生種Ipomoea trifida(イポモエア・トリフィーダ)が先祖の可能性が高い。この種は、集落の近傍など、人間によって撹乱された環境に適応した「雑草」性の植物のようで、この植物の利用から何らかの形で栽培植物であるサツマイモが出現した可能性は高いだろう。また、栽培化された地域としては環カリブ海地域、特に局所的に乾燥が激しい地域ではないかと指摘されている。
 第八章は近代に入ってからの在来品種の展開と、高度成長期の近代品種普及による在来品種群の消滅について記している。イモ類は種芋の形で栽培されるため、保存が難しそう。種なら、保存環境が良ければ、長い間どこかに保存されている可能性もありうるが、イモ類についてはその可能性は限りなく低そう。栽培されなくなれば、即消滅してしまうのだろう。本章は、明治以降の近代の品種の消長についての記述のみ。個人的には、近世の日本への伝播と普及の状況が知りたいのだが…
 以下、メモ:

 サツマイモが沖縄に伝来した史実はよく知られいる。野国総管が1605年サツマイモを中国の福建省からはじめて沖縄にもたらした。この偉業を後世まで伝えようと1751年に建立された石碑があった。この石碑は米軍が最初に上陸した激戦地に立っていて、今は行方不明になっている。そこにはいくつかの弾痕で削られた石柱「甘藷発祥の地」のみが立っている。1751年に刻まれた碑文の最後には、「水出一源 而分万派 人生一人 而至無服」(水は一つの源に発し、たくさんの水脈に分かれる。人は一人から生まれて、互いに喪に服するような関係のない無縁の人たちに分かれる)とある。この処世観はサツマイモにも当てはまる。一つの品種はいつしか互いに脈絡のないままにたくさんの品種に分かれる。そのいくつかが鹿児島に伝えられた。沖縄伝来より100年後の1705年とされている。(p.180)

(1)起源。サツマイモは十七世紀初頭に沖縄へ、十八世紀初頭には九州(長崎、鹿児島)に伝来した。したがって在来品種は、七福と源氏を除き、ほとんどがそのルーツを沖縄に、ついで九州の地に起源している。1955年調査の在来品種では、九州各地に局在するかあるいはそこを主産地とする品種が断然多い。例えば、鹿児島県の潮州や隼人藷、熊本県の便利、白便利、花ぼけ、長崎県の三葉、銀ぼけ、琉球、宮崎県のオランダ、佐賀県の双皮などである。また広域品種太白や花魁もその記載からすると九州に発しているとうかがうことができる。(p.218