中岡哲郎『自動車が走った』

自動車が走った―技術と日本人 (朝日選書)

自動車が走った―技術と日本人 (朝日選書)

 すごく面白い!!
 日本の近代技術の形成を、自動車を題材に、自動車製造の技術だけではなく、関連の技術、市場、政策、インフラの「つながり」を重視して描いたもの。こんな視点がほしかった。個人的には、むしろ「近代工業」に必要な資金をどのような経路で集めたのか、運用に必要な人員をどうやって組織したのかに興味がある。また、この視点をヨーロッパ・アメリカの自動車産業形成に応用すれば、興味深い見取り図を描くことができるのではないかと思う。
 本書は1995年に出版された朝日百科『日本の歴史:日本の歴史を読み直す』から筆者の担当部分をまとめなおしたもの。その後、この方向を発展させて『日本近代技術の形成:“伝統”と“近代”のダイナミクス』(ISBN:9784022599094)を刊行している。これも近いうちに読もうと思っていた。同じ著者だと気付いていなかったが…
 本書を読んで思ったのは、自動車産業は、政府の統制・保護から外れた部分が一番活力があったのが興味深いこと。戦前の小型車・オート三輪の活況。今日の日本の自動車メーカーが比較的数が多く、それが日本車の活力の源の一つになっているが、高度成長時代には政府主導によって3グループ程度に再編されようとしたが、それを拒否したことが現在につながっていることなどを思い起こさせる。


 自動車産業の発展の歴史は非常に面白い。試作から大量生産・事業化にいたる試行錯誤。結局、1930年代あたりから事業化の試みが始まって、確立するのが1960年代とおよそ30年、一世代近くかかっている。しかし、欧米でも1890年前後からガソリンエンジン自動車の開発が始まって、フォードシステムで近代的な自動車産業が確立するのに同じくらいかかっている。日本の場合は、フォードと言う化け物のような先行者がいたことを考えると、わりあい良くやったうちなのではないだろうか。
 また、初期(1905年頃)に自動車の生産・自動車を使った運送業が採算が取れずに四苦八苦していたころ、水上では発動機船の普及が海上輸送・漁業の分野で急速に進み、それらのコピー生産が機械メーカーの発展に資したと(p.30-32)いうのが興味深い。ついでに言えば、このあたりでもヨーロッパでは最初、固定式の動力として内燃機関が発達したという歴史と対照できるだろう。
 73ページからしばらくの日本における自動車の普及の社会的背景。五章の日産とトヨタの対照的な自動車大量生産技術の導入、海外からの丸ごと移植と手持ちの技術の徹底利用。「付:博覧会:近代化と技術移転」に見られる、織物業の生産機械に見られる「下からの技術革新」のトピックも非常に興味深い。


以下、メモ:

 工場で技術者のまねごとをしてみて、私が身に沁みて学んだことは、どのような技術も単独で孤立して存在していない、一定のつながりのなかでさまざまなものと相互に支え合いまたは補完し合いながら機能しているということであった。だから一つの技術がうまく機能するかどうかを見るためには、それとつながっている(国連大学の論文では「リンクしている」ということばを用いた)諸技術、諸関係に目をくばることが必要なのである。それはその技術が産業の中で採算のとれるものになり、結果として定着するものになるかどうかを見極めるために、特に重要である。したがって、発展途上国への技術移転などに際しても極めて重要な視点となる。
 この視点はこの『自動車が走った』でも中心に据えられている。山羽虎夫や二井紹介の自動車がタイヤで苦労した話とか、初期の乗合自動車が車の保守、修理、維持で苦労した話を書いたのは、自動車が一台満足に走るために、さらにそれを用いて事業が成立するためにどれくらい、それを支える関連技術や流通や道路や街の発展が必要であるかを示すことを通して、読者にこの「つながり」の問題を意識してもらいたかったからである。また、陸上の自動車がうまく走れないで苦闘している同じ時期に、同じ内燃機関を用いた乗り物である水上バスは出発点になって、水上では次々と技術革新が誘発され、それが多くの中小工場に船舶用小型石油機関製造という、絶好の仕事機会を与えていくことを書いた部分も、この「つながり」がうまく準備されているかいないかが、一つの技術が経済に対して「技術革新」となりうるかどうかにどれほど決定的な影響を与えるか、考えてほしかったのである。p.197-8

このあたりの問題は、『新書アフリカ史』で大きなテーマだった近代化の問題、インフォーマルセクターの重視という思潮や、それと関連して『ルワンダ中央銀行総裁日記』(ISBN:9784121002907)にも通底する問題だと思った。

この時期日本に移植された西欧の「先進技術」は、西欧の一定の発展した産業と都市環境の中で、さまざまな関連技術、金融や流通の制度、関連インフラストラクチュアとの「つながり」に支えられながら発展してきたものである。その「つながり」から切り離して、日本の農業と手工業の社会経済中へ移し変えた時、それらの技術、あるいは近代工場は、本当にすぐれたものとして機能しただろうか、経済を発展させ国際競争力を高める力となりえただろかという問いは、もっと問われてもよいものであった。p.204

関連文献:
齋藤俊彦『轍の文化史:人力車から自動車への道』ダイヤモンド社 1992(ISBN:9784478240649
大島卓・山岡茂樹『自動車』日本経済評論社 1987(ISBN:9784818801578
尾崎正久『自動車日本史』自研社
酒井亮介「膳家史料目録と解題」大阪中央卸売市場本場資料協会資料室『市場資料室ニュース』第8号
牧野文夫「日本漁業における技術進歩」『技術と文明』第五巻一号 1989
三宅宏司『大阪砲兵工廠の研究』思文閣出版 1994(ISBN:9784784207763
遠藤一夫『おやじの昭和』中公文庫 1989(ISBN:9784122015890
山岡茂樹『日本のディーゼル自動車:自動車工業の技術形成と社会』日本経済評論社 1988(ISBN:9784818801790
出水力『オートバイの王国』第一法規 1991(ISBN:9784474151512
吉田光邦万国博覧会NHKブックス 1985(ASIN:B000J6JU0G
中岡哲郎・石井正・内田星美『近代日本の技術と技術政策』東京大学出版会 1986(ISBN:9784130410397
トマス・スミス『明治維新と工業発展』東京大学出版会 1971(ISBN:9784130200295


トヨタ関連の資料
豊田喜一郎「自動車部拡張趣意書」草稿など自筆原稿・パンフレット類
トヨタ自動車躍進譜」昭和12
「自動車工業の確立について」昭和14
→『豊田喜一郎文書集成』名古屋大学出版会 1999(ISBN:4815803587)→http://ijin.keieimaster.com/ketsubutsu/book/10015.html
その他
「第十三回国会・参議院運輸委員会議事録」第36号