- 作者: 樺山紘一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1998/11/10
- メディア: 単行本
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斎藤修「産業革命:工業化の開始とその普及」
全体の導入と概論。個人的には、マクロ経済学という学問そのものが、「国民経済」の存在と固定化を前提とする以上、歴史的には少々適用しにくいと思っている。というか、経済学を信用していない。本書でも、国単位での議論が主だが、そもそもヨーロッパというのは、国民国家の枠組みよりも、地域を基本に分析するべきではないかと思う。特に、フランスやドイツは複数地域にまたがる以上、その特性が分かりにくくなるのではないか。北海岸・ライン川流域の都市集中地域が、産業革命のインパクトの中でどのようにふるまったか。北海岸の経済地域の産業革命への影響は。
また、世界システム論的な見方では、キャッチアップや後進性といった視点は相対化されてしまうだろう。エネルギー革命としての視点、国民国家あるいは戦争と工業化の関連(互換性生産への軍需の影響はその例)、世界貿易・ヨーロッパ域内貿易と産業革命の関わりなど、重要なトピックが抜けてしまっているように思う。
尾高煌之助「機械工場の世紀:二十世紀アジアにおけるその情景」
アジア各地の輸送機器を生産している工場が紹介されいるが、その情景が面白い。なんというか、大正あたりから昭和初期の日本もこんな感じだったのかなという感じ。フィリピンのジープニーやインドネシアのキジャンなどは、日本のオート三輪と比較可能な存在ではないかな。適正技術・地元市場への適応・安価・生産方法など。ただ、日本でも乗用車生産を軌道に乗せるにはフォーディズムの高い壁があったわけだが、その壁は今ではさらに高くなっているから、それに対応するのは難しいだろうなとも思う。
資本などの経営資源を集める様式も興味深い。フィリピンの血縁・疑似血縁を基にした経済関係は、まさにそういう世界で資本主義を発展させる難しさを示しているように思う。
谷本雅之「もう一つの『工業化』:在来的経済発展論の射程」
統計データをもとに、日本において自営業が卓越した状況を指摘。また、欧米においても、国によって自営業がそれなりの規模で存在する国があることを指摘する。特に、家庭内の女性の労働力の重要性。
その後、織物を事例に、問屋制手工業のありかた、独立した農家経営の中での資源配分としての家内工業とそれに対応したシステムの存在を指摘。それは1920年代以降の織物業の小工場生産が普及した後も、影響したことらしい。また、このようなあり方は、工業などの生産部門でも存在したのではないかと推測している。
このような、企業・工場を核としたシステムとは別の系統があったことを強調する。ただ、江戸時代のプロト工業化的な問屋制家内工業とどう違うのかが分かりにくい気も。この論文が目的だったのだが、ちょっと問題意識の方向性が違った。
草光俊雄「徳から作法へ:消費社会の成立と政治文化」
ドンピシャに興味がある話なのだが、すいません思想史は分かりません。消費の重要性というのは、強調されるべきことなのだが、この分析方法が難しい。ここでは政治文化や公共圏といったところから論じているが、別の方向性がないかな。とりあえず、参考文献は、そのうちチェックすべし。
ヴェブレンの議論の紹介で消費が「他人にたいして行われる行為である」と述べているが、これは本当にそうだな。衒示的消費だけではなく、現在の音楽や自動車などの娯楽的消費にも適用できるだろう。これらが社会的なコミュニケーションツールでなくなったことが、現在の消費減少の原因と言っていいと思う。
他の論文も興味深い。都市交通やジェンダー、企業の管理システムなど。近世のイギリスにおける女性労働の存在の薄さには驚く。単に公式的な理念で隠れているだけといった感じではあるが。