中村進『工業社会の史的展開:エネルギー源の転換と産業革命』

工業社会の史的展開―エネルギー源の転換と産業革命

工業社会の史的展開―エネルギー源の転換と産業革命

 本書は、ネフ(Nef, John Ulric)の所論を参照しながら、産業革命をエネルギー供給の変化という観点から捉えている。16世紀以降、イギリスの木材資源の枯渇とそれによるエネルギー危機に対し、石炭への転換という変革が、産業革命という量的拡大を可能にしたと指摘する。エネルギーに着目したところがおもしろいと思って借りてきたが、微妙な感じ。80年代の著作で、元の論文は70年代のものも多いためか、どうにも考え方が合わないというか。ずいぶん無邪気な進歩主義を感じる。エネルギー資源の限界に直面している現代では、「より高度な達成」とはとても言い難い。また、方法論としては、イギリス一国主義的見解の限界や世界経済のなかでの産業革命という観点を欠いているのが欠点といえる。また、利用した史料が、主に記述史料なのも限界か。


 話変わって。
 バージェス頁岩の研究で有名なサイモン・コンウェイ=モリスは、『進化の運命:孤独な宇宙の必然としての人間』で、人類の進化が必然と主張しているらしい。書評を読んだだけなので、あまり立ち入った議論をするのは危険だが、進化に方向性があることを主張するために「収斂進化」の事例を援用している。

レンズと網膜を備え、像を結び色を認識する人間の眼(め)は素晴らしいが、似たようなカメラ眼は哺乳類・鳥類とは別に、タコなどの頭足類、クラゲまで含め、十五回以上も独立に進化した。知能への収斂進化もあり得ると、その例も豊富に挙げる。イルカの脳は二千万年前くらい前までに大型化し、百五十万年前までは、イルカが地球で脳が最も発達した動物だった。人間の要件とされる道具の使用も二足歩行も、それぞれ独立に何回か進化を経たという。なるほど進化には方向性があるんだと、読む者を納得させる迫力がある。

と、似た形質が独立に何度も進化することが多いようだ。それに対し、人間の「知性」というのは、地球の生命の歴史のなかで、今のところ一度しか発生していない。逆に言えば、人類の「知性」というのは、進化の袋小路なのではないかという疑いが芽生える。むしろ収斂進化は、人類の進化が必然であることへの反証ではないかとも思う。
 そうすると、SFなんかでよくある「高次段階」への進化というのは期待できないのだろう。人類は、認識の限界を突破することはできない。所与のエコシステムを盲目的に弄くりながら、生きて滅びるのだろう。逆に、エコシステムと人類の相互作用で進んでいく世界観というのも、キリスト教進歩史観が提供する歴史像と比べても遜色がないほど魅力的なのではないか。


 このエコシステムと人類の相互関係という観点を導入すると、大枠の人類史を割とすっきり見ることができるのではないだろうか。産業革命と並ぶ人類史の分水嶺である「農業革命」も理解しやすくなる。『ジャガイモとインカ帝国』(ISBN:4130633201)など植物学や生態学方面の成果によれば、農業革命は非常に長い時間がかかった過程だったようだ。人の集団が住みつくことによる環境の攪乱、攪乱環境に侵入する動植物、特に雑草の存在。それらの動植物を利用する中で人間の利用に適するような選抜・作物化が進むという、共進化が起きたようだ。そのようなプロセスのどこかで、「耕作」という飛躍が起きる。その過程はクリアカットにしにくいが、最終的には家畜化された動植物の集約的利用という方向で、エコシステムの改変が進む。その延長線上で、灌漑や国家の出現などの変革起きる。


 このようなエコシステムという観点から、産業革命を考えると、そこで起きた最大の飛躍は、蒸気機関によって、化石燃料を利用した動力装置が開発されたことなのではないだろうか。著者は、ネフの研究を全面的に受け入れ、16世紀イギリスの石炭への燃料転換の意義を高く評価している。しかし、世界史的に見れば、石炭の利用は他でも起きていることを忘れてはならない。北宋時代の中国でも、家庭用から、製鉄その他さまざまな分野での石炭利用が普及していたことは著名な事例だろう。条件さえ整えば、どこででも化石燃料の利用は行われ得た。
 ニューコメンの蒸気機関に実用化によって、既存の畜力・水力・風力では得られない、大出力かつ安定した出力を得ることができるようになった。これによって鉱山の排水が機械化され、それ以前には開発不可能であった鉱物資源が利用できるようになり、利用可能なエネルギー資源・金属の量が拡大していったこと。生体資源では不可能であった、利用資源の量的拡大が、最大のエコシステムの改変ではなかったか。蒸気機関以前には、土地と植生に、資源量が規制されていたが、これによって物質的な経済の線的拡張が可能になった。この変革がなければ、浅い部分の石炭を掘り尽くした時点で、イギリスは再びエネルギー危機に直面し、エネルギー価格の急上昇という事態に直面しただろう。
 これ以後も、エコシステムの改変が一気に進んだわけではない。しかし、エネルギー資源の供給量の増大→金属を中心とする消費物資の供給の潤沢化→交通システムの高速・定時化、鉄の供給増大→製造業への蒸気機関の普及といったプロセスで、エコシステムの改変は進み、人類の物質的な資源量は飛躍的に拡大し、同時に環境破壊が問題になってくる。それこそ家畜輸送や木製品が、化石燃料利用の動力や石油由来のプラスチックにとってかわられたのは、20世紀の後半に入ってからのことである。
 ニューエコノミックヒストリ―の研究成果などによって、近年「産業革命」の評価は下がる傾向にある。1760年代の経済成長率の低さなど、一気呵成に近代化が進んだわけでないことが指摘される。しかし、経済成長率や蒸気機関の普及度などは、実はそれほど重要ではない。その背後で、着実に人類のエコシステムは変動しつつあった。こう考えることができるだろう。まあ、この考え方だと、「産業革命」概念が、トインビーなどの古典的な議論と比べても、ずいぶん前に拡張されてしまうことになるのだが。


 16-17世紀あたりの農業や商業をかじった身としては、経済や社会の組織の観点からすれば、産業革命は非常に連続性が高いように見える。それこそ『最初の近代経済:オランダ経済の成功・失敗と持続力 1500‐1815』(ISBN:9784815806163)なんて本が出て、それが16世紀から説き起こしているように。また、ヨーロッパ、特に北海沿岸はおよそ一つの経済空間といってよく、なぜイギリスだけで産業革命が起きたかというのは疑問ではある。技術的な知識など、どこも条件はたいして変わらなかっただろうし。それこそ、なんでオランダでは起きなかったのかとか。
 また、近世に関しては、アメリカ大陸のユーラシア経済への組み込みと開発という変化があったことは重要。中国なども、その繁栄の影響をうけているが、アメリカ大陸開発の独占的な地位を確保したヨーロッパが一番大きな果実を得ている。それが産業革命となだらかにつながっているように見えるから難しい。
 とつらつら考えてきたが、もっと新しい成果を吸収する必要があるな。なぜイギリスで産業革命が起こったのか?では、最近の研究成果も援用した議論を紹介している。賃金とエネルギー価格と資本の関係から、他では起きなかった理由を示している。




 本書の第二章では、産業革命以前の社会を農業社会、それ以後を工業社会として、対比して描いている。そのなかで、「農業社会」を非常に静態的に、また貧しく描いている。しかし、中近世のヨーロッパの経済や農業のダイナミックな変動を知ると、この部分の記述は非常に腹立たしい。単純に利用できる物質の量はともかくとして、文化や社会システムの観点から言えば、中世にしろ古代にしろ非常に複雑な、洗練されたものを、人類は保持してきた。人類は、身体を外延的に拡大する方向で進化してきたが、知性や社会性という部分ではそれほど変わっていないように思える。産業革命によるエネルギー使用量の拡大は、単純に肥満したと解釈することも可能で、過去を貶めるのはどうか。
 人類史を考えると、人間を他の動物と分ける要因はなんなんだろうなと考えが及ぶ。道具を使う生き物は結構多いし、農耕を行うアリンコもいる。たぶん、自己と他を区別する意識も、他の動物にあるだろう。そう考えると、人間に独特のものって、火の使用と時間や宗教といった形而上学的な思考ぐらいか。どこで読んだ話か忘れたけど、チンパンジーは未来を予測する能力がないようで、回復の見込みのない状況でもつらいリハビリを黙々と続けることができるとか。人間だと先を悲観して、やめてしまうのだとか。ちょっと飛躍すると、人間の本質は「妄想」にあるのかもな。




 以下、メモ:

 蒸気力はアメリカでは早くも1801年にフィラデルフィアで石膏をすり砕くために、ニューヨーク・シティでは製材のために、使用されたけれども、この動力は製造業よりもずっと早く輸送業の領域で支配的となり、19世紀の中頃まで工場の発展過程でその力を発揮しなかった。このあいだの製造業において見られた大きな進歩は水力の使用によって達成されたのである。p.202

 アメリカの話。動力としては水力、家庭用の熱源としては木材が豊富に安く入手できたため、石炭と蒸気機関はずいぶん遅くまで普及しなかったそうだ。

 そこで、簡単にアメリカの交通機関への蒸気力の導入について触れてみよう。蒸気船は1807年のフルトンの有名なクレアマント号のハドスン川でのデモンストレーションのあと、西部の諸河川で迅速に導入され始めた。とくに、それがミシシッピ川1820年に69隻(1万3890トン)、1855年には727隻(17万トン)に達したことからもわかるように、19世紀前半に蒸気船はミシシッピ渓谷の経済生活を支配するようになった。この川への蒸気船の導入は「いままでほとんど不可能であったアップ・リバーの通商を可能にし、西部の発展に大きく貢献した。西部の産物は洪水のように河下に下り、それとともにニューオルリーンズからは東部の工業製品や塩、砂糖、コーヒーなどの輸入品が河をさかのぼって各地に配分されていった」のである。p.205

 蒸気機関によるエコシステムの改変の一事例。

 ネフは工業文明の本質を「量の増大」と規定し、この文明とそれ以前のすべての文明と区別するものは量的なものの追求が第一義的要素となったことであり、工業文明の興隆以前の文明の本質である質的なものの追求によってもたらされた諸価値が失われる危険が昌されたことでもあった。p.231

 別に量の追求は、どこでも追及されたと思うのだが。