松本仁一『カラシニコフ』

カラシニコフ

カラシニコフ

 朝日新聞に連載された記事をまとめたもの。読みやすい。また、個人の視点が徹底していることによって、良質なルポになっているように思う。主にアフリカでのカラシニコフの状況を描いている。プラスカラシニコフへとフォーサイスへのインタビュー。
 第一章のシエラレオネの内戦が身の毛のよだつ。手首きりとか少年兵とか、知らなくはなかったが、改めてゾッとする。ほかにソマリア南アフリカ、チャド、ナイジェリアなどが取り上げられている。そもそも、ヨーロッパや日本などの「国民国家」というのは、1000年近い統合への歴史を持っている。また、「社団」「法人」的な集団的な影響力行使のシステム・伝統も存在する。それがない地域に、大量に小火器が持ち込まれたことが現状をもたらしているのだろう。近代国家の運営には高度なノウハウを必要とする。しかし、発展途上国には、そのノウハウを蓄積する資源が与えられていない。その結果、「失敗国家」が出現する。第五章では、銃の氾濫を押さえ込んだ、ソマリランドの事例が紹介されるが、ここを読むとホッとする。地域のコミュニティが維持されているところでは、武器の管理・国家の形成が可能なのだろう。その点では、ソマリアの首都から遠かったことが幸いしたのかもしれない。また、植民地支配、独立闘争、その後の内戦でコミュニティが崩壊した場所では、銃の管理がどのようにしたら可能になるのか。暗澹とした気分になる。ソマリア情勢に関しては、本書が2004年の時点を描いているわけだが、イスラム法廷の躍進とそれに対するアメリカ・エチオピアの介入といった変化があった。また、順調に見えたソマリランドでも国内で不満が高まっているという報道があった。現状ではどうなっているのだろうか。あと、なんでソマリランドを承認する国がないのか不思議。ソマリア情勢に関してはこんなサイトが→空野雑報ソマリア情勢を中心とするアフリカニュースの翻訳・紹介をしているブログ。
 南アフリカの状況を紹介した第五章も興味深い。近隣諸国からの銃の流入、黒人失業者による犯罪の増加、政権が治安問題に関心を持たない状況。結果として、治安が悪化している。その一方で、地域・民間による治安安定への模索。近代国家運営のための基本的知識を持たないアフリカの政治指導者はあたら社会を崩壊に導いてしまっている。最適解はないしな。難しい問題。
 第四章のフレデリック・フォーサイスへのインタビューが全体を通観し、まとめる章になっている。実際、100人くらいで国を奪ってしまえる状況と言うのは、国の体を成していないよなあ。
 あと、印象的なのは崩壊した社会で、教育をうけない状況が、人間形成にどんな影響を及ぼすか。シエラレオネの元子供兵、あるいはソマリアで銃を差し出す代わりに教育を受けられるプロジェクトでの若者の振る舞い。
以下、メモ:

 日赤九州国際看護大学教授で医師の喜多悦子[64]は、国連などの仕事で世界の多くの紛争地で働いた経験を持つ。これまで訪れた国は、アジアやアフリカを中心に七〇ヵ国以上にのぼる。「失敗した国家」も多く見てきた。
 喜多は「失敗した国家」と「そうでない国家」を分ける基準について、「明確で分かりやすい物差しがふたつあります」といった。
 ひとつは「警官・兵士の給料をきちんと払えているか」だ。
 警官と兵士は、国民の安全な暮らしを守るという、国家の最低限の義務の直接の担当者である。その給料を遅配・欠配して平気な政府は、国家を統治する意思も能力もないと見なすべきだろう。
(中略)
 もうひとつの物差しは、「教師の給料をきちんと払っているか」である。
 教育は国家の将来の基礎となる重要な事業だ。しかし投資したからといってすぐに成果があがるわけではないし、明確な数字であらわされるような利益や利潤が生まれるわけでもない。だからこそ当面の採算を度外視し、国が直接に責任を持たなければならない事業なのである。
(中略)
 教師は教育のかなめである。その給料を払っていないというのは、政府指導者に国をつくる意思がないということだ。国の将来など考えてもいないということである。p.179-180

非常に分かりやすい基準。

 自衛隊の現場幹部と、日本でのクーデターの可能性を議論したことがある。部隊指揮官のある一佐がいった。
「われわれだけが武力を持っているのだから、首相官邸やテレビ局を制圧するのは可能でしょう。しかし、その後どうするのですか。国民の反感の中で国家を運営できるわけがない。そんなことをする意味がない」
 ソ連では九一年八月、保守派がクーデターを企てた。だが市民が戦車の前に立ちはだかり、政府転覆に失敗する。「新しいロシア」に一体感を見出した市民が武力を拒否したのだ。
 国家は国民に支えられて正統性を持つ。そういう国が、国連加盟の約一九〇カ国のうちいくつあるのだろうか。p180-1

まさに、国家と言うのは「信なくば立たず」ということだな。暴力、あるいは実力、どちらでも良いが、それは国を成り立たせるうえでは、二番目の要素でしかないのではないか。