五十嵐太郎『「結婚式教会」の誕生』

「結婚式教会」の誕生

「結婚式教会」の誕生

 結婚式に使われる教会を模した建築物「結婚式教会」を様々な側面から分析したもの。建築史的、あるいは社会と建築の関わり、実際の建築物の探訪など。元が雑誌に掲載された記事を再編したものだけに、多少構成が散漫な部分もあるが、なかなか興味深い。
 熊本市内ではあまり見かけない建築様式だが、現在、元の神水苑ホテルに現在建設中で、なんじゃこりゃと思ったのをきっかけに、読んでみた。和風の庭園に、教会風建築はあれはミスマッチに過ぎると思う。
 本書は「結婚式教会」の起源について、建築史的、あるいは結婚儀礼の歴史の側面から通観している。第一章の結婚式が女性主導で行なわれるようになったことで普及し、「ウェディングドレスのための舞台装置」であるという指摘が興味深い。
 第五章では結婚式の歴史が振り返られるが、前近代には「結婚式」という用語あるいは概念が存在せず、近代に入ってから出現したこと。1900年の大正天皇の結婚式によって定式化され、神前式がキリスト教の方法を流用して形成された可能性を示唆している。本書を読んでいて思ったのだが、むしろ「結婚式」の部分が付け足しで、結婚における真に伝統的な部分は「披露宴」なのではないか。三々九度を中心とする神前式の形式は、最近になって創造されたもので、その定着度は低く、国家神道の影響力の低下に伴って簡単に捨て去られる程度の深度しか持たなかったのではないか。そんなことを考えた。付け足しの儀式だからこそ、簡単にキリスト教を模倣できたと言うか、あるいは先祖がえりしたと言うか。建築と社会の関係と言う点で興味深い話。
 そういや、今時の結婚式のイメージは、完全にキリスト教式だよなあ。フィクションの類でも、完全にキリスト教式が優勢であるように思う。エロゲでも、結婚式は教会だし。少女漫画でも、神前式なんて見ない。
メモ:

結婚式におけるキリスト教は大人気であり、90年代にはキリスト教式のシェアがそれまでの定番だった神道式を超えている。その結果、結婚式のためだけにつくられる教会も増加した。マーク・R・コリンズは、こう述べている(『メイド・イン・ジャパンのキリスト教トランスビュー、2005年)。
 「今日キリスト教会は、日本における宗教間の分業の中で、結婚式という役どころを奪いあう手ごわい競争相手になっている。……細分化された区割に押し込められてはいても人気の高いこの役割を演じることによって、キリスト教は日本の民俗宗教複合体のなかに足場を築きつつあるようである。この『キリスト教式』結婚式の風潮には現代社会の通過儀礼に別の宗教伝統を自然に流用する日本的な手法が表れている」。p.67-8

「民俗宗教複合体」こそが日本人の宗教の基本と言って良いのだろうな。明治政府がこれを俗信として排除したことが、日本人の宗教をインビジブルにしてしまった。あと、儀礼の借用については、歴史的に見れば結構ありそうに思える。ローマ帝国内での宗教の相互影響とか、中近東からヨーロッパにかけての一神教間でとか、調べれば出てきそうに思うのだが。