塩見鮮一郎『貧民の帝都』

貧民の帝都 (文春新書)

貧民の帝都 (文春新書)

 東京養育院を中心とした、明治維新以降の東京の救貧活動の歴史。明治維新江戸幕府崩壊に伴う、江戸/東京の混乱の状況とあふれる貧民・飢民の状況。それに対する対応。養育院の展開。少々、叙述のスタンスが一定していないように感じる。あるいは、養育院に視点が偏っているのでは、などとも感じるが。


 本書のテーマに関連したものとして、NHKで放送された「無縁社会〜『無縁死』3万2千人の衝撃〜」が興味深かった。前半だけ見て、きつくて見るのを止めたが、本書を読んだうえで考えると、長期的な行旅死亡人の状況を示さずに数字だけ出すのは、視聴者にインパクトを与える上では効果的でも、問題提起としては不正確になるのではないだろうか。まあ、あの番組で取り上げられた人のような、身元がかなりしっかりしている人が、血縁者がわからないために身元不明扱いで処理されてしまうというのは、それはそれで衝撃的なのだが。社会的紐帯の衰退と、その狭間で弔われずに処理されてしまう人がでてくる状況。ある意味、古代への回帰。平安京の状況が、現代的にソフィスティケートされた形で再現されているような感じで、嫌な気分。よく考えると、樹木葬や散骨といった葬送形態の普及も含めて、遺体を遺棄する方向性へ進んでいるような。家制度の良し悪しは別にして、社会のあり方が変わっているというのは良くわかる状況。
 このトピックに関しては、「無縁死」が興味深い。創価学会の葬儀の方法というのは、高度成長以後の人口移動とその帰結としての「無縁死」の多発への対処としては意外に合理的なのかもと思った。
 あと、ほとんど関係ない話になるが、

ところで、〈死後の心配〉は近代的な共済制度の端緒でもある。

というのを読んで、五十嵐太郎の『「結婚式教会」の誕生』に出てきた、「冠婚葬祭互助協会」を思い出した。が、サイトを見る限りは葬式費用の積立にとどまって、喪主がいない状態に対応するような組織ではないようだ。このあたり葬儀業者の限界というところか。そもそも葬式できない人は、商売にならないということか。