藤森照信『新版:看板建築』

看板建築

看板建築

 題名のごとく、看板建築の本。写真見ているだけでたまらない。銅板貼りの商店建築は見たことがないので、非常に興味深い。しかし、本書に掲載されている看板建築のどれだけが、現在も生き残っているのだろうか。旧版から新版になるまでにもバブルや世代交代で多数が消え、新版の刊行からも10年がたっている。その後もミニバブルが起き、所有者の世代交代が進んだことを考えると、どれだけ残ったのか、気分が暗くなる。


この「看板建築」という概念がどこまで適用できるか。そこで考え込んでしまった。本書では「看板建築」を、関東大震災から復興時、区画整理後の昭和3年から建設が始まった商業建築で、平板な擬洋風のファサードにデザイン上の工夫を加えたものをいわば「模式標本」としている。また、「ファサードを立て板状にしたものはいくらでもあるが、そこに表現があるかどうかをポイントとしてチェックした」(p.198)や「実際に各地の都市を歩いてみると、意外にこれといった看板建築に出会わない。むしろ、東京に固有の形式とすらいえそうだ」(p.199)という記述が、概念の輪郭を現しているだろう。このような記述を手掛かりとすると、宇佐八幡宮の旧参道にあった立て板状ファサードの商店

は「看板建築的建築」という扱いになるのだろうか。
 この関連では、特に銅板貼りの看板建築が関東・中部地方に限られるという地域性の問題は興味深い。確かに銅板を貼った建築などと言うものは京都でも熊本でも見たことはない。本書をぱらっとめくって、巻頭のカラー写真の銅板貼りの建物には衝撃をうけた。


 あと面白いと思ったのが、第5章の「看板建築の表現」。

 これは、もちろん、西洋の石や煉瓦でできた都市建築の壁面の影響といっていいわけだが、ただ一つちがうのは、看板建築の壁面は骨組は木造で表に金属板やタイルを貼っているだけだから、見かけだけの西洋造りということになる。p.150

 ところが、看板建築になると、そういう一つの型というかスタイルははない。立て板状であるということを除くと、その立て板の上に実現した姿は、仕上げ材もちがえば形もちがう。どれ一つとして同じものはない。
 みんな、自分の思い思いのデザインをしている。
 この特徴も、そのまま、バラック商店から引き継いだものだが、さらに元をたどると、明治の洋風建築まで行きつく。
 明治になって、ヨーロッパの建築の考え方が日本に導入されたわけだが、技術的なことより様式的なことより、なによりもそれまでの日本と根本的に違ったのは、〈建築家が個人の表現をする〉という点だった。建築を自分の表現=作品としてつくっちまうのだ。そんな習慣はそれまでの伝統的建築界にはない。
 以来、洋風建築は誰かの作品として造られるようになり、また、洋風建築が上から入ってより下へ下へと広がるにしたがい、こうした個性化がしだいに日本の社会にも定着してゆく。p.170-1

 といっても、洋風建築にしろアール・デコや表現派にせよ、もちろん本格的なキッチリしたものではなくて、断片的でデタラメなシロモノといっていい。p.171

 このあたりの記述を読んでいると、先日読んだ五十嵐太郎の『「結婚式教会」の誕生』(ISBN:4393332695)を思い起こさせる。あの本でも、表面だけの造りや様式の混乱などの指摘があった。本書とつなぎ合わせて考えると、キッチュな建築やディズニーランダイゼーションといった動きは、「ポストモダン」のような新しい動きではなく、もっと長い来歴を持つ動き。日本の近代化やヨーロッパ文化の摂取による文化の変容といった、より広い問題に接続しそうに思う。「結婚式教会」は、少なくとも、関東大震災の復興時に出現したバラック商店や看板建築の子孫ということになるだろうか。