『歴博』No.150 2008/9/20

 県立図書館から借り出し。「特集 米」ということで、米の歴史についての文章が集まっている。他に収蔵品紹介や企画展の紹介など。収蔵品紹介では中世の天皇即位式の準備の帳簿を紹介しているが、譲位されてから即位式をやるまでに22年かかっている話などは、なんというか趣が深すぎる。企画展の「「染」と「織」の肖像」も興味深い。

 「米食悲願民族」と米食の普及。明治初期の段階では混食が主体であり、それも地域差が大きかった。1879(明12)年の内務省の全国食事調査(豊川裕之・金子俊『日本近代の食事調査資料:第一巻:明治篇:日本の食文化』全国食料振興会 1988)によれば、伊賀や出羽のような米食主体の地域、西日本の麦と米が半々程度の地域、稗の消費が多い丹波と多様性を示す。その後、人口の増加に伴って供給不足となり、米の輸入が始まる。東南アジアなどのインディカ米が「南京米」として輸入され、蔑視されつつも、都市への移住者の食料となった。その後、植民地のジャポニカ米化が行われる。
 1939年の配給制度が全国一律に米を配給することによって、全国で、米食が均等化する状況になった。戦後、高度成長時代に入り、1960年代をピークに米の消費は減少する。米食への欲望を満たされたところで、魔力は薄れる。一方で、米食の普及は食の多様性の減少でもあった。

 近世には、租税として米を徴収し、それを市場で換金する「米遣いの経済」が出現する。この結果、江戸政権は米価の高騰を目指す特異な政権となった。また、近世の食料騒動では、モラルエコノミー的な、食料を押収し、「適正価格」で売却する行動が民衆主体で行われるという活動が見られた。

  • 青木隆浩「近代酒造業の発展と米」

 地主の余剰米の有効利用として酒造業が発展したという見方への批判。酒造に適した米は、在来種に近い比較的乾燥した田で、肥料をあまり投入しない品種。一般的な農地とはかみ合わない。酒造家の土地集積は、酒税の納入に担保を要求された、制度的側面が強いとのこと。