「西南の役回顧之碑」

 行幸橋からあがって、左側にある石碑。しかし、銘文がもうはがれつつあるけど、何を使ったんだ、これ。ケチっちゃいかんだろう。






表面

西南の役回顧之碑
 熊本市長星子敏雄書



左下銘文

 西南の役は、明治十年二月におこり、七ケ月
の間九州の山河を血に染め同胞相搏ち、死者
実に三万一千、有為の人材を多く失い、難民
四十万を出した悲劇の内戦であった。しかし
てその勝敗を左右したのは緒戦の熊本城攻防
である。攻将は陸軍大将西郷隆盛、守将は、
鎮台司令長官谷干城、相対する五十有二日
ついに救援軍を熊本に入れ、薩軍は城下を撤
退し、以後明暗を分かって押し移り、薩南城山
に至って終熄した。
 この役 熊本は惨憺たる被害を蒙った。
時人歌って曰く「帰り来て燕や古巣たづぬら
む焼野となりし熊本の里」と。しかも草木芽
ぐみて次第に旧に復する如く立直り、いつし
か逞しく近代都市に成長した。
 ことしは西南の役百年である。歩すれば到
るところ彼我将兵勇士奮戦流血の地○らぬは
ない。往時を回顧すれば万感○こ○に湧く
即ちこの碑を建てて相共に歴史の語るところ
に耳を傾く○○云。
  昭和五十二年十二月建之
          熊本市長 星子敏雄
               荒木精之撰
               斉藤鶴跡書

 なんで漆喰みたいなのに彫ってるんだろう。あと、文章もかっこつけすぎて読みにくくなっている。