「清正公」像周辺

 これが石碑の範疇に入るかどうかというと微妙だが、記念碑の一種だからいいよね。周囲の碑文も含めての話。行幸橋のたもと、長塀通りに入るところにある。






左側石造物

 この地は、加藤清正の「御花畑屋敷」の西北隅
にあたる。
 細川時代には、城内に至る「下馬橋(げばばし)
のたもとで、また「お花畑」と呼ばれる藩主の
屋形の一角であった。
 このように由緒があり、城内への重要な
登城口である現在地に、加藤清正銅像
設置することが最もふさわしく、辛島公園
ロータリーから移設したものである。
  平成三年九月
       熊本市長 田尻靖幹



右側石造物

かとうきよまさ
加藤清正
  永禄五年(一五六二)〜慶長十六年(一六一一)


 日本三大名城の一つに数えられる熊本城を
築いた加藤清正は、天正十六年(一五八八)
肥後半国の領主として隈本城に入り関ヶ原
戦い後、肥後五十四万石の大名となる。
 この間、熊本城の築城に着手し慶長十二年
(一六〇七)完成させたといわれ、隈本を熊本と
改名した、土木・治水をはじめ城下町の形成に
力を注ぎ、現在の熊本市発展の基礎を
築いた。
 今でも「清正公(せいしょこ)さん」と親し
まれ、多くの人々の崇敬を集めている。