林市蔵銅像と「民生委員制度創設七十周年記念」碑

 これは加藤清正像の側にある石碑。以前から知っていたけど、今回、改めてじっくりと。たいがい、もっと草に埋まっている感じだが、今回は整備の直後だったのだろうか。銅像は設置年代が違うように思われるが、裏側まで回って確認しなかったな。失敗。
 しかし、「書」ってのはサッパリ読めないな。七十周年記念碑の「深則新」を書いた人は仁和寺の誰さんなんだか。44代門跡の小林隆仁氏だろうか。それにしては字の形が違うような気がするし。







「民生委員制度創設七十周年記念」碑
上段

深則新
仁和寺○○○仁

中段

民生委員制度創設七十周年記念

下段

碑文
「深則新」とは、民生委員
制度の生みの親である林
市蔵先生より与えられた
活動教訓である、即ちこ
の言葉は、一つの問題を
深く掘り下げそこに困難
な壁があれば新しい勇気
をもって工夫と努力を重
ね、粘り強く切り拓いてゆ
く活動こそ委員の体得で
きる最大な喜悦であると
いう意であり、先生の遺
志を継ぐ民生委員は制度
創設七十周年を迎えるに
当り先生がこの制度の傾
注された真精神に思いを
致し其の使命の完遂に決
意を新にしこの記念碑を
建立するものである



銅像台座

民生委員の父林市蔵翁



右側解説板

民生委員の父 林市蔵


 慶応三年(一八六七)十一月二十八日横手町に
生れる 五才で父を失い 母の手一つで育ち
「林家の雑巾」といわれたほどの貧しい暮し
のなかで 春日小学校を経て済々黌熊中
五高東大法科に学び明治二十九年法学
士となる 北海道拓殖官に就職したが母を
失い二年間も喪に服した その後内務省
移り 山口 広島 新潟の各部長を経て三重
県知事となる ついで東洋拓殖株式会社理事
として在朝鮮八年 再び山口県知事に転出
その後 大阪府知事となる第一次欧州大戦
後のインフレ時代にあい 社会福祉の急なる
を悟り 方面委員制度の創設に力を注ぎ現
在の民生委員の父と仰がれるに至った
 昭和二十七年二月二十一日没 八十四才
大阪淀屋橋畔にも銅像が建てられている