「横井小楠をめぐる維新群像」

 横井小楠を顕彰するために、2000年に建てられたもの。横井小楠像を中心に向かって右から細川護久松平春嶽勝海舟坂本龍馬。その下のレリーフは小楠の弟子で実学党を形成した面々。









解説板

横井小楠をめぐる維新群像


 横井小楠 諱は時在 通称平四郎、幕末維新期の大思想家。
横井家は細川藩士家禄一五〇石の家で、小楠は文化
六年(一八〇九)熊本城下の内坪井で生まれた。藩校時習館
学び居寮長に推されて数年、江戸遊学を命ぜられて天下の
俊秀と交わり活眼を開く。帰国後実学を主唱し、中級武士と
惣庄屋層の支持を得る。
 越前候松平春嶽に聘せられて福井藩にその経綸を実現し、
後春嶽の幕府総裁職就任に当ってはその顧問として幕政改革
に貢献、その間に勝海舟と相識り、坂本龍馬にも影響を与えた。
文久三年帰国を命ぜられ士席を除かれて隠栖すること五年、
明治元年経世の才を買われて新政府の参与に出仕、抱負の
実現を図ったが、翌二年正月京の町で志半ばで凶刃に倒れた。
明治三年熊本藩実学派の改革を実現し、藩知事細川護久
大参事同護美の下に、藩士山田・嘉悦・内藤等及び惣庄屋層の
徳富、竹崎・長野等による肥後の維新の到来を見た。


この群像は横井小楠の生誕一九〇年、没後一三〇年
(一九九九年)を記念して翌二〇〇〇年三月に建立された



13/4/18追記:
 台座中央部には横井小楠が甥に贈った漢詩が刻まれている。『熊本の文学碑』の助けを借りて解読。

明堯舜孔子之道盡
西洋器械之術何
止富国何止強兵布
大義於四海而已
 小楠(印)