坪井川沿いにある高橋公園には、銅像などの記念物が多数存在する。「石碑」からは微妙に外れているような気もするが、記念物の一種としてここに掲載する。ただし、谷干城像は碑文の解読が住んでいないのでそのうちということで。
これは高橋公園の中で目を引く建造物。元は先代の熊本市庁舎の玄関プロムナードを移設復元したものだそうだ。で、その中には大正末の熊本市長で、上水道や市電の敷設、歩兵第23連隊の移転などを成し遂げた功績から、顕彰されている。このあずま屋の由来は全然知らなかったな。
高橋公園東屋解説碑文
高橋公園四阿(アズマヤ)
本公園は、第7代熊本市長として大正の三大事業(歩兵第23連隊の移転、市電の開通、
上水道の新設)をなしとげ、近代都市熊本のまちづくりの基礎を築かれた本市の名誉市
民故高橋守雄先生の功績を称え昭和初年に開設された公園です。
故高橋守雄先生は、町村合併等により行政規模が拡大したのに伴い、大正12年12月手
取本町の現市庁舎がある場所に庁舎を建設されました。以来その庁舎は約56年間にわ
たり本市のシンボルとして市民の皆様に利用され親しまれてまいりました。その間昭和
20年7月1日の熊本大空襲による戦火や昭和28年6月26日の熊本大水害等の歴史的
変遷に耐えた貴重な建物であります。昭和56年の新庁舎建設によりこの建物は解体さ
れましたが、この貴重な建物を後世に残す為、ギリシャ神殿の様式を取り入れた往時の
面影を残す玄関プロムナード部分を保存してまいりました。
この市庁舎玄関プロムナードを平成3年の飽託4町との大合併を記念して、熊本城
一帯で開催されました「火の国フェスタ熊本 ‘93」にあたり、当時の第25代・第26代熊
本市長田尻靖幹氏の手により熊本城周辺環境整備事業の一環として故高橋守雄先生ゆ
かりの当公園に平成5年9月四阿として復元されたものです。
規模 構造
鉄筋コンクリート平屋建
延床面積 32.16?
間口×奥行 7.26m×4.43m 平成7年8月
高さ 7.30m 熊 本 市
前面
高橋守雄銅像
裏面
名誉市民高橋守雄先生は第七代
熊本市長として近代都市建設に
大きな功績を残した
熊本信用金庫は大正十二年八月
同市長が熊本市信用組合として
設立したものである
昭和四十八年五月
熊本信用金庫創立五十周年記念
左銘板
高橋公園
第七代熊本市長高橋守雄の功
績をたたえて昭和四十七年(一九
七二)三月に建設された公園。
熊本城内にあり、戦前は第六
師団長官舎があた。敷地約三、
七〇〇平方メートル。
高橋守雄(明治十六年〜昭和
三十二年)は大正十一年(一九二
二)、三十九歳の若さで熊本市長
にに就任し、在任三年半の間に、上
水道、市電の敷設、歩兵二十三連
隊の移転という三大事業を成し
遂げ、近代都市熊本の基礎を築
いた。
のち警視総監、熊本商科大学
初代学長などを歴任。熊本市名
誉市民、熊本県近代文化功労者
に選ばれた。
熊本市