「高橋守雄先生」胸像

 上の報恩碑の後ろに写りこんでいる胸像。初代学長にして、戦前には熊本市長を歴任したこともある内務官僚と。こちらも碑文は伊豆富人さん。とりあえず、銘文はひらがなを使ってほしかった。一部、ひらがなになっているところもあるが。
 周囲がコンクリで固めてあるから、衛星写真でもわかりやすい。




台座裏面

 親シク其高風ニ接シ毎ニ其道徳ヲ仰クモノ之を高
橋守雄先生ノ胸像ト為ス。惟ウニ先生ハ明治十六年
上益城郡浜町ニ生レ、東京帝国大学ヲ卒業シテ官界
ニ入り、安達謙蔵先生ノ知遇ヲ得テ、台湾総務長官
警視総監等ニ歴任セラル。其間熊本市長ニ迎エラレ
電車、上水道ノ敷設、歩兵第二十三連隊ノ移転等ニ
尽瘁シテ熊本市ノ近代都市的基盤ヲ確立シ、戦後熊
本短期大学、熊本商科大学ヲ創建シテ学長ニ推サレ
老ヲ忘レ病ヲ排シテ育英文化ニ専念セラル。為ニ熊
本県近代文化功労者トシテ先生ヲ顕彰シ、熊本市
遇スルニ名誉市民ヲ以テシ、熊本日々新聞社又熊日
社会賞ヲ贈リテ其功ニ報ユル所アリ。今年五月学内
ノ居室ニ於テ長逝セラル。即チ後進相謀リ先生ノ徳
業ヲ称エ後世ニ伝エント欲シ此碑ヲ建ツ。
  昭和三十二年十一月三日
       後進 伊豆富人撰す