秋津第二土地区画整理竣工記念碑

 秋津中央公園の北の端にある石碑。この地域の区画整理竣工の記念碑。以前、グーグルマップのストリートビューで見た時には、東の道路沿いにあったような気がするが、勘違いだったか…
 あと、この公園、やたらと広いな。




石碑正面

区画整理竣工記念
 秋津第二組合



台座石柱

組合事業完成
平成五年十二月吉日



台座裏面

 秋津第二土地区画整理組合役員(アイウエオ順)
          理事長 水上徳定
          副理事長小田亮
           仝  吉岡正晴
           仝  泉 秀晴
理事上田孝徳 理事桑田 巧 理事沼津秀雄
仝 上田光彦 仝 桑田 登 仝 野田太郎
仝 上田時雄 仝 栄田 武 仝 野田 博
仝 小田能弘 仝 榊田 弘 仝 橋本銀蔵
仝 大村次男 仝 沢田時光 仝 浜口幸○
仝 川崎四郎 仝 三藤行夫 仝 浜口久雄
仝 川添 直 仝 田島久之 仝 福永梅年
仝 川添親男 仝 田村利春 仝 三浦時次
仝 川添友継 仝 津田春夫 仝 森山武敏
仝 川添信行 仝 富岡末喜 仝 弥富親義
仝 北村友親 仝 永田正士 仝 弥富秀次郎
仝 木原新五郎仝 中村里見 仝 湯川時雄
仝 木原隆博 仝 西 幸一 仝 吉岡志津男
仝 蔵田和三郎仝 西村長雄 仝 吉本利治
仝 倉永伊作 仝 西村正信 仝 吉村吉春
仝 倉永清光 仝 沼川辰彦
 設計監理 財団熊本土地区画整理協会
      法人

 碑文
 此の組合が発足した当時の地区は一部に宅地が散在する
他 その殆んどが広漠たる農地であったところ 周辺より
の急速な宅地化に鑑みて 地元有志相謀り昭和三十八年五
月二十一日熊本県知事の認可を受けて茲に熊本市秋津第二
土地区画整理組合が結成されたのであります その施工面
積は百二十一ヘクタール余総事業費一億三阡七百七十万円
と組合員数千二百三十三名及び土地千四百二十筆を擁しこ
れを三つの工区に分けて組合理事長に熊本市長石坂繁氏他
役員一同によって順次工事に着手したところその後昭和四
十三年七月に役員改選が行われた結果初代熊本市長石坂繁
氏にかわり水上徳定氏が組合理事長に就任される哉事業も
愈々核心に這入りその間物価上昇等のため数回の事業計画
変更を行い或いは役員と評価員並びに総代の任期改選が行
なわれるなかに幾多の苦難と茨の路を歩みながら現在は総
事業費三億一千二百八十万円組合員総数一千五百三十名を
土地も一千六百八十筆に増加し組合員も事業に対する関心
が一段と深まり役員一同も又工事の遂行と換地の指定を促
進せしめ特に百棟に及んだ建物移転等に対し昼夜にわたり
努力せられたことは誠に賞嘆すべきであります 斯くして
全区域に対し町界と町名を改定し茲に組合結成以来僅かに
十年の歳月を歴てその目的を達成した結果幅員二十二メー
トルと十六メートルの都市計画街路をはじめ八メートル以
下の区画街路を開設しその総延長は実に三三、七キロメー
トルに達し殊に県道高森熊本線の拡張工事に対しては多く
の建物移転を行ない且つ路面整備の結果その沿道は飛躍的
発展を遂げるに至りその他近隣公園と児童公園合せて八ヶ
所三 六五ヘクタール或いは水路の改修と橋梁の設置を行
ない更に桜木小学校用地の確保等多くの公共施設の整備改
善を成遂げ以って宅地の利用増進を図ったのでありますが
そのため組合員は貴重な土地を平均二割五分余を提供した
次第であります
従ってこの土地区画整理事業の結果本地方における市街地
の急激な発展を遂げ依って熊本市の都市計画史上に貢献し
た功績は洵に甚大と言わねばなりません
依って茲に本組合の事業が概ね完成するに当りその経緯を
記し以って之を後生に貽する所以でらります
     昭和四十八年 月 日

  此の記念碑移設に当りて
昭和四十八年四月事業完成と同時に竣工記念
碑として設置されて居ましたが二十年有余に
亘り地盤の沈下等により土台が下り破損し公
園の使用児童一般住民に危険事故発生も余儀
無くするに至り清算人会に諮り区画整理事業
の成功と今後地域発展を永く後世に残す為○
将来風雲に堪える物として新設したものであ
ります。尚此の秋津中央公園は組合員地権者
の貴重な土地の減歩によって設置されて居る
公園であり地域の皆様方学校教育生徒の種々
運動に青少年育成スポーツに長寿会ゲートボー
ル大会等老若を問わず有効に利用して同志の
○○いふれ合いの場を大事にし健康で明るい
心豊かな町造り場として大切に有効高度利用
○○頂きたいと思います。
    平成五年六月吉日
 熊本市秋津第二土地区画整理組合清算人会
    第一工区 第二工区 第三工区
代表  浜口久雄 上田孝徳 川添親男
世話人 永田正士 吉岡正晴 中村里見
    設計施工 荒木石材工業